第65話 パンドラの匣


九久津はそういってトコトコ木製の棚まで歩き、そこに雑然と横たわっていた壺を手にとった。

 どうやら陶器製の壺のようで――コトン。という音がした。

 壺の入り口は俺が多少手を広げても入るくらいで途中から大きく広がっていくフラスコ型の壺だった。

 表面はなにかでこすったようにくすんでいて、無数の擦り傷が長い年月を感じさせる。

 「この中には金銀財宝が入ってる」

 

 九久津がそんなことをいいながら俺を見ている。

 これは完全に度胸試しだな。

 「ほう」

 「沙田。さあ、手を入れてみろ?」

 か、軽くビビる。

 なんたって、ここはフロアゼロとはいえ忌具保管庫だ。

 「だ、大丈夫か? いきなりバクってイカれるんじゃ?」

 「そんな危険な物はこのにはないよ」

 バクっとくるのは下の階したにはあるのかよ!?

 「ほ、本当だろうな?」

 俺は自然と目を細めていた。

 ……けど九久津もこんなことするんだな? 遊び心なんてないのかと思ってた。

 いつもはクールだし、クールというかときどき陰を感じるんだよな。

 陰のある男、九久津毬緒。

 女子キュン死要素(?)満載、それもこれも兄貴のことが原因だろうな。

 「ああ。掴んでみろ。これで沙田は億万長者だ」

 「わ、わかった」

 俺は一度息を飲んでから制服とYシャツの袖を肘までクルクルと折り返した。

 意を決して手を入れてみる。

 よし、ゆっくり突っ込んでいこう。

 じゃっかん怖えーけど……ん? ん? おお!?

 意外とすぐに壺の底に辿りついた。

 な、中になにか物体がある。

 こ、この感触は小判的なやつだ。

 本当にお宝が入ってんのか? 俺はひやっとした薄っぺらな金属を掴んで徐々に手を引き抜こうとした。 

 「ああ!? ぬ、抜けねー!! やっぱり罠だったな!? く、九久津どうすんだこれ!? 俺はこのまま右手が壺の人として生きていくのか? それとも壺から出てきたていで生きていけばいいのか?」

 「掴んだ物を放してみろ?」

 九久津は焦った俺を横目に苦笑いしていた。

 その冷めた感じは本気だな、さっきの円盤爆死のくだりと同じ目だ。

 「おっ、と、とれた!!」

 小判を掴んだままのグーの握り拳をパーの形に変えると、あっさり壺から手は抜けた。

 「この壺は中にあるモノを握って抜こうとすると拳が引っかかるって単純な仕掛からくりだよ。それでもこれはこれで呪いの壺だって恐れられた時代もあるんだ」

 「なんて安すい仕掛け」

 って、俺もそんなのに引っかかり慌てふためいてたのか。

 あ~ハズい!?

 仕掛けが明かされない時代にちゃんと教育を受けられなかった人ならこの壺を本当に呪いだと思うかもな? 俺が九久津から反射的に顔を背けるとぺらぺらの預言よげんの書という小冊子が目に入った。

 このハズい空気に耐えられなくて木製の棚にあるそれに手を伸ばす。

 「これもガラクタ?」

 俺はすかさず壺の出来事を黒歴史にしてやった。

 これで話題を変えれば今は過去になる、ふっ。

 「ああ、そうだよ。だからこの階にある物はぜんぶおもちゃみたいなもんだって」

 「だ、だよな」

 よしよし、誘導成功。

 歴史を感じる紙質と古臭い紙のニオイ、古本屋に足を踏み入れた瞬間ときと同じニオイだ。

 湿気というかカビというか埃みたいな、それでもどこか嫌いになれないニオイ。

 預言よげんの書の表紙をパラっとめくってみると小さな虫がちょこちょこと歩いていた。

 あっ、この虫ってたしか紙魚シミって名前だったよな? 障子とか和紙を食べるんだよな~。 

 俺はむやみな殺生はしない主義。

 自由に生きろ。

 紙魚は俺の意をんだかのように紙と紙の繋ぎ目に潜り込んでいった。

 さて中にはなにが書かれてんだか? 俺は本編までページをめくってみた。

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 【黙示録もくしろく~終わりの始まり~】

 終焉しゅうえんの足音が響く刻

 天空より舞い降りる 白き衣をまといし 双翼そうよくの者

 絶望をはらんだ黒き魔獣は咆哮ほうこうの果てに漆黒しっこくの化身となる 

 だがそれも聖なる御剣によってしずめられる

 白き衣の者は最後の“ひとつ”となる

 矮小わいしょうなその手に矮小わいしょうな球体を持って消え行くのみ

 猫はただ透明な水に両目を塞がれた

 そして始まる百花繚乱ひゃっかりょうらんの“終焉しゅうえん

 灰色の叢雲むらくもが世界を覆うだろう

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 おお!? 

 それっぽい内容。

 雰囲気出てるな~!!

 「なあ、九久津。この預言の書って本物っぽさがすごいんだけど偽物なんだよな?」

 「そうだよ。誰かが適当に書いたんだろう」

 「よくできてるわ~」

 俺は感心しながら預言の書を閉じてまた棚に戻した。

 その空気抵抗で棚の中の埃が舞い、端に溜まっていた大きな綿埃わたぼこりもぶわっと跳ねた。

 「この箱は?」

 部屋の角にある黒い重金属に蔦文様つたもんようが絡みついた箱が目についた。

 爪先でコンコンとつついてみると、足の指ぜんぶに金属の硬さが反発してきた。

 除夜の鐘のようにゴーンと響く。

 おもいっきり蹴ったら骨折間違いなしだ。

 「それはパンドラのはこ

 「パ、パンドラの匣ってあのパンドラの匣?」

 「そう、あのパンドラの匣だけど」

 「マジで!? な、なんでこんなとこにあんの? しかもレベルゼロに?」

 パンドラの匣は見ただけでもズッシリとした重みを感じる。

 パンドラの匣といえば、さしずめ箱界はこかいのリミテッドエディションだぞ。

 それなのに部屋が殺風景だからふだん使いで買いました的に置いてある。

 な、なんて無防備な。

 もっと厳重に保管しろよ? どこが忌具保管庫だよ? 寄白さんのスカートのほうがまだガードが堅いわ。 

 「答えは簡単。けど、まだ教えない」

 おお、九久津が俺をもてあそびはじめた。

 こういう一面もあるんだな。

 「た、たのむ教えてくれ。む、無理ならヒントでも?」

 な、なぜ、パンドラの匣が郵便ポストのごとく”あって当然”的に置いてあるんだ? あっ、そっかレプリカだな!?

 「じゃあ沙田にヒントをひとつ。パンドラの匣はお菓子入れに使ってる」

 九久津は俺の意表をついて俺が予想しない、まったく別角度の答えを返してきた。

 「な、なにぃ!? 伝説の匣を、お、お菓子入れにしてるだと?」

 なんて贅沢な使いかたをしてるんだ。

 金に糸目をつけない美術蒐集家しゅうしゅうかみたいじゃねーか? やっぱレプリカ説を推していこう。

 「お菓子の種類は?」

 とっさに種類を聞いたけどそんなんで謎が解けるのか?と自問自答する。

 いや、それでは解けない。

 今の俺にはレプリカ説しか思い浮かばない。

 「アメ玉」

 「ア、アメ……?」

 まったくわからん。

 さらに謎が深まった感じ、って俺の質問が悪いだけなんだけど。

 「じゃあ開けてやるよ」

 ええー!? 

 九久津は本気っぽい。

 俺の煮え切らない態度に痺れを切らしたのか、九久津、今、ここで世界を終わらせる気かよ?

 「い、いいのか? ひゃ、ひゃ、百八の災厄が飛び出てくるぞ!?」

 俺は驚きでけっこう噛み気味だった。

 「沙田、ずいぶん詳しいな?」

 「パンドラの匣なんてアニメでも漫画でもゲームでも頻繁にモチーフで使われてんだろ?」

 「へ~そうなんだ。俺はそういうの観ないし」

 九久津は洗濯機のふたでも開けるがごとく平然と重いふたを押し上げた。

 ふたはパーカーのフードを頭から下ろすように上下反転した。