第86話 決断


「複雑なんですねこの世界は? もっと単純ならよかったです……」

 

 「いやいや。多面体ためんたいだからこそ世界は成立しているんだよ? ……ところできみ。国立・・六角病院をお薦めしよう。あの病院には厚労省から出向しているわたしの同期がいる」

 「えっ、あの~僕はそんなに負力溜め込んでますか?」

 けど……やっぱり六角市に国立・・六角病院が存在してるのか? 九久津もいってたし当局の人がいうんだから間違いないな。

 けどその建物は町のどこにあるんだ?

 「ん……? きみ気づいていないのか? その目だよ」

 「目、目ですか?」

 目ってなんだ? 俺は目元に触れてみた。

 なんだよ? あっ、また……涙。

 指先が赤く染まってる、忌具保管庫のときのあの血の涙だ。

 「これって重大な病気ですか?」

 「わたしはそれに似た症状を過去にみたことがある。十中八九、魔障だ」

 

 「ま、魔障!? ……で……すか?」

 

 近衛さんは俺になにひとつ遠慮しなかった。

 専門の医者だったら患者の状況を配慮してくれるはずだろう、それがまったくなかった。

 俺を能力者と認めてくれてるからか? でもやっぱり俺は忌具保管庫でなにかに障れた……? なんだ? 壺か? パンドラの匣か? 預言の書か? 魔鏡か? それとも座敷童か?

 「ああ、私の素人診断だがほぼ間違いないだろう」

 「あの~その理由は?」

 「きみは、今、体がツヴァイだということを忘れてないかい?」

 「えっ!? ああ、そっ、そっか、そうだった!!」

 俺はいつからかおれじゃなくてふつうのじぶんとして過ごしていた。

 いちおう本体おれは校長室にいるんだ。

 ぜんぜん違和感なくここにいた。

 今は、完全に分離してる感じがする。

 それこそ本当にこの世界に俺がふたり別々にいるように。

 「ええ。でもそれだけでわかるんですか?」

 「つまりその影響によって魔障の深度しんどが色濃く現れる。一般人でも酷い痣があれば怪我だと判断できるだろ?」

 「なるほど」

 「ただ、わたしでも診断できる魔障だから軽傷だとは思うが、まあ、医師の診断ではないので絶対ではないけれど……」

 「わかりました」

 そっか、軽傷だから遠慮なくいってくれたのか? それに目だから命にかかわることはすくないだろう。

 「そろそろ亜空間のエネルギーを吸収し終えるころだ。まずは高次結界の半減期を待たずに結界をもとに戻す。あまりに強すぎる結果も逆に自然界には悪影響だからね」

 「はい」

 なんにおいても過剰ってのはダメってことか。

 だからこその自然なのかも。

 「ところであの柱はなんなんですか?」

 「あれはヤキンといってソロモン神殿にあった材質を縮尺しゅくしゃくしたものだ」

 「ソロモンって、ソロモン王の?」

 「ああ」

 「ふだんはあれを駅に隠しておいたんですね?」

 忌具保管庫のパンドラの匣といい、ソロモン王のソロモン神殿とかって本当に存在してたんだ……。

 神話のたぐいってのもけっこう真実なんだな。

 「ヤキンを駅前のオブジェにした理由は主にふたつある。さきほどもいったが負力を浄化させるため。もうひとつは六角市になにかが起こった場合に柱を亜空間移動させるのに適した場所だから」

 「そこまで考えて……」

 なにからなにまで計算ずくだ。

 これも株式会社ヨリシロとの連携なのか?

 「この話は【Cランク】の情報だが」

 近衛さんは能力者なら誰でも知っていて当然というニュアンスだった。

 「そうなんですか?」

 「ああ。ただ当局内部の情報と各地の能力者が知りえる情報には解離かいりがあるのかもしれない……」

 「じゃあ、情報管理を見直したほうがいんじゃないですか?」

 「忌憚きたんのない意見だ。上司に報告しておこう。我々もまだまだってことだな」

 「えっ、いや、なんだかんだいっても僕らは近衛さんたちに助けられていますから」

 「それでもわたしたちができることは微々たるものさ。今日の正午ごろ六角駅の駅前で飛び降りがあったらしい。人が抱える苦悩を抑えるにも限度がある」

 「それは近衛さんたちとは関係ないんじゃ?」

 「死にいざなわれるものは必ず“負力”をび放つ。ゆえに希力きぼうによって救えるかもしれない人がいるのもまた事実だ。ただあの場に置いてあったヤキンでは止められなかったようだ。きみのいうとおりあとの祭りさ」

 「そこまで気にしてたらなにもできないと思います」

 それでもヤキンによって守護山の麓ここ一帯は守られた。

 亜空間が爆発してたらもっと甚大な被害が出てただろう。

 やっぱり使う人と使いかたしだいか……。

 近衛さんは――ふっ。っと感嘆おどろいたような笑みをみせた。

 いつも眉間にしわを寄せているような人がはにかむなんてよっぽどのことだと思う。

 俺なんかいったっけ?

 「いい心構えだ。どこかで線を引くことは大事なことさ。“助ける”と“見捨てる”のボーダーラインをね」

 「えっ?」

 その言葉はとてつもなく重く俺にしかかってきた。

 俺はいつか大事な選択をしなきゃいけない気がする……。

 「わたしは、これからあの亜空間に入るがきみはどうする?」

 「僕もいきます。連れていってください」

 「もうバシリスクの瘴気を感じない。これがなにを意味するかわかるか?」

 「単純に考えると、九久津がバシリスクを倒した」

 「そう。彼は上級アヤカシをひとりで倒したんだ。どんな方法を使ったかは知らないがね」

 「……あるいは九久津自身もしかしたら、もうってことも……」

 そんな最悪なことも頭を過ってしまった。

 「そう。その可能性も踏まえておくべきだ。この先にとても残酷な真実があるかもしれない。それを受け止める勇気はあるかい? つぎにその目からは透明な涙を流すことになるかもしれないが?」

 「それでもいきます」

 俺はもう一回目の下を指で拭いた。

 透明な涙……それはやっぱり九久津になにかったときのことか? でも、俺はなにがあってもいかないといけない、どんな結果が待っていたとしても。

 そして九久津がどんなふうになっていようと……。

 もしかしたら、すぐそこに俺が選択しなきゃいけないなに・・かがあるのかもしれないけど。

 「わかった。まずは六角市の結界をもとに戻す」

 「はい」

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