第9話 サイレント アサシン


さらに数週間が経過した。

 なんとなくだけど「六角第一高校いちこう」の全体像が掴めてきた。

 俺が「シシャ」候補だったとしても六角市で「シシャ」は当たり前のことだ。

 他校にだって転入生はいるし。 

 じっさい俺のいた「六角第三高校」にも転入生はいたし、俺が二年に進級したときにも新入生は入ってきた。

 ただ、そのときは「六角第一高校ここ」ほど「シシャ」に敏感なことはなかった。

 六角市民のあいだでも現在いまは「シシャ」の存在を都市伝説レベルだと思ってる人のほうが多い。

 「シシャ」の存在が薄れつつあるってことだ。

 

 むかしはもっと敬虔けいけんな儀式だったと聞いた。

 ……ん? あれっ!? 

 その話って誰から聞いたんだっけ? ああ、じいちゃん、ばあちゃんの世代の人たちだ。

 うちの家系にも「シシャ」となにかしらの繋がりがあった人がいたのかもしれない……。

 六角市には現在六つの市立高校が存在している。

 まあ「六角第四高校」は解体中だから実質五校だけど。

 その中にたったひとりだけ「シシャ」がいるってことになる。

 

 厳密にいえば「シシャ」は高校生の中にだけ・・・・・・・・にいるってわけじゃない。

 十五歳から十八歳の中にいる誰かだ。

 高校に通ってない人かもしれないしすでに働いている人かもしれない。

 そんな状況からも俺が「シシャ」候補だってのはすぐに薄れていった。

 それに「シシャ」だからといって他人に危害を加えるわけではない……と思う。

 ただ人ではないモノが人間の中で生活しているということだ。

 俺の場合は転校生という特別待遇で注目を浴びていたにすぎない。

 そんなことを考えながら、俺は今日の弁当に手を伸ばした。

 ステンレスのふたを開いた瞬間、俺の視界を埋め尽くす真っ黒な物体があった。

 また手抜きの海苔弁か。

 まあ、しょうがない。

 俺はふたに収納されている付属の箸をとりだし、米の上で八枚ほどに分かれた海苔の一画を一口大に切ってご飯とともに口へ運んだ。

 あっ、いただきます、を忘れてた。

 「いただきます。ぶっはっっっ!?」

 な、なんだ!? 

 こ、この六感を超越した感覚。

 奥歯がガリっていった。

 しょ、しょっぺー!? 

 口の中で海水から水を蒸発させた感じがする!!

 味覚の向こう側に辿り着きそうだ。

 「沙田さん、どういたしました?」

 

 寄白さんが慌てながら俺の机にちょこちょこと駆け寄ってきた。

 料理家が味見をするように海苔をめくって薬指でひと舐めした。

 そして寄白さんは口をモグっと動かすと猫のように舌先をペロっと出した。

 ぶはっ!! また、しょっぺー。再度しょっぺー、ぞくしょっぺー!!

 せて、すぐに答えを返せない。

 「沙田さんこれは塩化ナトリウムでしてよ?」

 よ、ようやく俺の口内環境が落ち着いてきたところ、寄白さんは瞬間的にその味の正体を突き止めた。

 ス、スゲー!?

 これが神の舌ってやつか? 寄白さんがそういうレアな舌の持ち主なのかはわからないけど。

 なぜか九久津もこの事件に加わって、まるで名探偵の助手という立ち位置で俺の弁当の中にあった海苔の裏をひと舐めした。

 

 「こ、これは……ま、まさかNaclエヌエーシーエル。塩酸と水酸化ナトリウムの中和によって得られる物質」

 九久津が深刻そうな顔をしてる。

 物質? なにそれ? えっ、なに? なに? えっ、えっ!? え、塩だと? それに水化ナトリウム?

 「酸」がふたつも入ってますよ、く、九久津くん? ちょっとばかり「酸」の数が多すぎやしないかい? それって青酸カリ盛られた的なこと。

 俺はここで死ぬの? なぜ毒殺されなければならない。

 わからない。

 あっ!? 

 そうか思い当たるふしがあった、俺が「シシャ」の正体を知ってしまったからだ。

 たしか「六角第五高校」の”しんのえねみい”って人だっけ。

 そういえば六角市で「シシャ」の正体を知った人間がどうなるかって噂は聞いたことがないな。

 

 ま、ま、まさか今回の俺ように人知れず暗殺されてるのか? これは六角市全体でひた隠しにしてる陰謀いんぼう的なやつか!?

 今までこうやって歴史の闇にたくさんの人が葬られてきたんだな~。

 俺は薄れゆく意識の中で最後の力を振り絞り……って薄れてねーし!!

 むしろ頭フル回転でこの状況をなんとかしようとしてるよ。

 これは人間がふだん使用しないという脳の何パーセントかを使ってる気がする。

 隣の席の佐野は俺が苦しんでいる姿を見て――ちょっとゴメン。と海苔の端をすこしちぎって自分の口へと運んだ。

 「あっ、しょっぱい。沙田の母さん塩入れすぎじゃん? でも海苔弁の海苔って醤油を使うんじゃないの? あっ、隠し味か。意外と料理上手なんだな」

 さ、佐野、それは本当か? し、塩、だ、と? 

 たしかにしょっぱいけど。

 九久津がさっきいったNaエヌエーはナトリウム。

 Clシーエルは塩素、そしてそのふたつが結びつくとNaclエヌエーシーエル

 Naclエヌエーシーエルとは、す、すなわち塩化ナトリウム……ん? よく考えれば、これって中学の理科でも習うくらい単純な化学式じゃねーか!?

 そうだ!!

 こ、これは塩だ。

 「魔除けにわたくしが海苔の下に塩化ナトリウムを盛ってみましてよ?」

 

 ――盛ってみましてよ。って?

 あなたが実行犯ですか~寄白さん? って、そうだよな「シシャ」の正体を教えてくれたのはきみだ。

 寄白さんはかわいい顔をしてるけどまったくといっていいほど悪びれた様子がない。

 そのまま首を傾げると十字架のピアスが同じ周期で揺れた。

 なにしてくれてんだこの女。

 そ、そうか、あんなすぐに俺のもとへ駆け寄ってきてまるで秘境のような海苔の下の塩の存在に気づくなんてこれは犯人しか知りえない事実だ。

 間違いなく実行犯はコイツだ、寄白美子、犯人はおまえだー!!

 やはり推理ドラマのように犯人って身近にいるんだな。

 みなさん真犯人はここにいますよ~。

 てか、塩化ナトリウムという化学式を使った新手のバイオテロですよ~。

 「うちの生徒はたいていマイおNaclしおを持ってましてよ」

 マイお塩って。

 自分の塩を店まで持ってくるグルメかよ!?

 寄白さんは、さも自分が正しいことをしたというふうに、ブレザーの内ポケットから半紙に包まれた塩を出した。

 これまたご丁寧に小分けにされてるよ。

 ここに物証があります、誰かその娘を逮捕してください。

 

 「ああ~。マイ塩なら俺も持ってるよ~」

 佐野も制服の内ポケットからビニールの小袋に入った塩をとり出した。

 マ、マジでか!? 

 佐野も? ふだん使いだとでもいう表情で小袋をかざした。

 本気で「六角第一高校いちこう」の生徒のみんなは塩を持ってるのか? 「六角第一高校いちこう」では生活必需品としてテイッシュ、ハンカチそれにつづき塩が三種の神器なのか? 学校のパンフにはそんなこと書いてなかったぞ。

 自然発生した学校の独自ルール? って俺学校のパンフはさらっとしか見てねー。

 みんなそれぞれに塩持ってるってなんなんだよこの学校は!? 

 なにかをはらうのか? 真夏の熱中症対策にひとつまみのお塩的な感じで携帯してるのか?

 「沙田さん。放課後お話がありますのできてくださりますか?」

 

 「えっ? えっ、あっ、は、はい!?」

 そ、そんないきなりなんだ? まだ出逢って一ヶ月。

 「決め打ち放課後予約オファー」なんて共学三大憧れシチュエーションのひとつじゃないか。

 あとは「机から溢れだすキャパオーバーの山積チョコ」と「保健室パンツ」そのふたつが共学校憧れの三大シチュエーションだ。

 とくに保健室でふたりきりになって――パンツ見てもいいのよ。といわれるシチュエーションは桁違いにレベルが高くこれを経験したやつはそのごの幸福と引き換えに、もの凄い不幸が訪れるときく。

 それもそうだろう相手からパンツを見せてもらったうえにこちらには一切の非がないというパーフェクトシチュエーションなんだから。

 

 まあ、現時点で俺に――パンツ見てもいいのよ。はないとして……ま、まさか、こ、告白か……? 誘惑の誘いは塩化テロの罪滅ぼし? そ、それとも塩化テロは、お、俺を呼び出すための口実だったの……か……? な、悩みは尽きねー。

 神はなんて残酷な二択を投げかけるのか。

 あっ、寄白さんってじつは恥ずかしがり屋なのかも。

 もう口の中のしょっぱさなんてどうでもいい。

 「わ、わかりました。ぜひ伺わせていただきます」

 

 「絶対にひとりでいらしてくださいね?」

 

 「は、はい。わかりました」

 と、とりあえず水を……。

 誰か僕に水を。

 「L非常階段でお待ちしておりますので」

 寄白さんは小さくお辞儀をするとゆっくり教室をあとにした。

 「は、はい。それより、み、水を……」

 いつものように水にうるさい九久津が俺にミネラルウォーターをくれた。

 でも、俺のことなどどこ吹く風で完全密封されたパウチからしじみサプリのカプセルとサメの肋骨ろっこつエキスをとりだして味わい深くたしなんでいる。

 【あなたの寿命がエタる!! 蜆とサメの混合ミックス】

 九久津よ、おまえはなぜそんなに健康にこだわる? 俺らまだ高二だぜ? てか蜆サプリの色が漆黒すぎるぞほぼだろそれ? しかもサメに肋骨あんのかよ!?

 それとここいちばん重要なとこだけどエタっていいのか? エタだよ、エタ? エタなんて書いてあったら誰も飲まねーよ、ふつう。

 

 ――あら、この健康食品良さそうね~?

 ――でも、奥さんこれエタるらしいわよ。

 ――まあ本当怖いわね~。

 って俺は勝手な妄想をしながら、九久津の机に置かれたパウチのラベルを横目で見ながら、いっきに水を流し込んだ。

 あ~口が浄化される。

 水って無味だけど美味しいという矛盾を感じつつ、これでようやく一命を取り留められたと安堵あんどした。

 仮にだけど塩を盛るにしてももっと小粒のにしろよ!!

 ほぼ岩塩がんえんじゃねーか。