第95話 手癖


三週間後。

 

 「ざーちゃん。動くなよ~」

 「……」

 座敷童はニコニコしながら黙ってその場所に立っている。

 「いくぞ~」 

 我が身を預けて目を閉じているけれどまぶたはプルプルと揺れて頬っぺたもゼリーのように揺れる。

 「よし」

 {{カマイタチ}}

 九久津の腕を気流が旋回していった。

 風は九久津の振り上げた腕を軸にして肘から手の先までを囲っている。

 「よし!! 風が広がらないよう腕にくっつくイメージ!!」

 九久津の腕から不均等に飛び出していた気流はまるでコンロの火でも調整するように整っていった。

 九久津がそのまま腕に力を込めると腕を覆っていた風が形を変えはじめる。

 腕の先が大きくふたつに分かれて大雑把ながらもはさみの形になった。

 「毬緒のやつ。あれから三週間でよくここまで風を制御できるようになったな」

 堂流は腕を組みながら感心していた。

 九久津の召喚憑依のスキルは日を増すごとに上達していった。

 天あるいは、それに準ずるものに与えられた才能のように堂流の教えを吸収していく。

 九久津の成長はすでに救偉人の勲章を授与された堂流でさえ目をみはるほどだった。

 「よし。ざーちゃんいくよ?」

 座敷童は微動だにせずに小刻みに震えていた。

 それは恐怖などではなく、小さな子どもに座っているように命じてもすぐに立ち上がってしまうのと同じで一ヶ所に留まっていられないからだ。

 「待て、待て、毬緒。ダイレクトに切るのか?」

 「うん。そうだよ」

 「えーと。そ、そっか」

 九久津のその行動に堂流は慌てている。

 いうなれば今のこの状態は安全対策をしないままの綱渡りでしかないからだ。

 (ま、まあ、いちおうはさみの形にはなってるから額を刃先でざっくりってことはないだろう……。危なそうなら俺が手前で止めればいいし)

 「わ、わかった。俺が見てるから慎重に切れよ?」

 「うん」

 九久津はそんな兄の思いに気づくこともなく、まるで新しい遊具で遊ぶように座敷童の頭に左手を添え利き腕の右手をそっと振り上げた。

 

 座敷童はなすがままに自分の頭部を九久津に傾ける。

 

 九久津は手に召喚憑依させている風のはさみをゆっくりと開き、座敷童の前髪の束を挟んで力を込めた。

 裁ちばさみが厚手の布を切ったように――ザクン。という音がして九久津の腕の風の刃先が噛み合った。

 (ま、毬緒!? やりやがった)

 座敷童の髪の毛はひとつの束となって地面にぼとんと落ちた。

 前髪は眉よりすこし上の位置で一直線に揃っている。

 「あっ、切りすぎたかも!! ごめ~ん」

 座敷童はいつもの前髪の位置に隙間ができて急に風を感じ、両手を額に当てて上目づかいで確認している。

 口元が目元の筋肉に釣られてイラストのタコようにすぼんでいた。

 (毬緒はカマイタチの技術どうのこうのよりも根本的にざーちゃんの前髪をどこで切っていいのかわかってなかったのか……? 俺がざーちゃんの髪を整えてやるしかないな。た、ただ、この状況から前髪をリカバリできるのか? まあ、やるしかないか)

 {{アミキリ}}

 堂流の右手が揺らぐと拳がふたつに分かれていき、その刃先は金属でコーディングしたように輝き、美容師が使うようなはさみに変わった。

 「あっ、兄ちゃんずるい。俺はそんな召喚技教えてもらってない!!」

 「毬緒にはまだ早い。おまえはまだ腕を振る軌道が一定じゃないんだ。腕を戻すときに“くの字”になる癖を直してからな」

 (アミキリを召喚憑依すれば最初からはさみの形になる。でもカマイタチからはさみを形成させる修行なら一石二鳥だ)

 堂流は自分の手の位置を固定させて右から左へと真横にずらしていった。

 そのまま、また腕を水平にして左から右に戻す。

 たとえばその堂流の腕の軌道に赤い色をつけて可視化したとすると、最初に左に流れていった線と左から右に折り返してくる線は重複し一本の赤い線になる。

 九久津の場合は行きと帰りの軌道がずれるため、ある一定の個所で交差して「くの字」二本の赤い線ができる。

 つまり今の九久津には腕をそのまま水平移動させる技術が必要だった。

 とはいえ六歳の九久津にそれが難題なのは明白だ。

 「え~俺もそれ使いたい」

 「毬緒そんなことよりざーちゃんの髪どうするんだよ?」

 「えっ?」

 九久津が困惑の表情をしたとたん座敷童は九久津の服の肘を掴んでツンツンと二回引っ張った。

 九久津が振り返ると座敷童は前髪の周辺をツンツンと指さしてから、片方の手で丸の形を作る。

 堂流は座敷童のその髪型で良いというジェスチャーに目を疑った。

 

 「えっ!? ざ、ざーちゃん。それでいいのか? 俺が毛先をいてやる、それなら一直線な前髪もランダムな感じで、すくなくともパッツンではなくなる?」

 座敷童はぶんぶんと真横に首を振り、どこかその髪型を気にいっている様子だった。

 「い、いいのか?」

 (なぜ、それで?)

 座敷童は堂流の疑問とは正反対にうんうんとうなずいている。

 (ま、まあ、喜んでるならいいか)

 九久津は兄、堂流と座敷童のやりとりを見ていてある疑問が湧いた。

 それは座敷童の前髪のこととはまったく別のことで、座敷童が身振り手振りだけで会話していることだった。

 「兄ちゃん。ざーちゃんってどうしてしゃべれないんだろう?」

 「えっ、それは……」

 (そこを訊かれると痛いな……)

 「知ってるの?」

 九久津は渋り顔の堂流に気づいたけれど、兄弟ゆえに気兼ねなく訊いた。

 「えっ、あっ、ああ」

 (どうする。ここで真実をいうべきか……)

 「教えてよ?」

 「むかし……」

 (この年齢でそれが理解できるか?)

 「兄ちゃん。いいから教えてよ」

 堂流はいったん屈んで九久津の目線まで腰を落とした。

 「わかった。これはざーちゃんが傷つくこともあるから、今日の夜に話してやる」

 「うん。わかった」