夜の帳が下りたころ堂流と九久津は居住区に隣接した忌具保管庫にいた。
堂流が重いパンドラの匣を開くと、座敷童はアメ玉を握りしめてすやすやと眠っていた。
堂流は寝息をたてている座敷童を確認してまたゆっくりとふたを閉じた。
(無邪気だな)
堂流はそのまま周囲を見渡して、いつもとはなにか違う違和感を覚えた。
反射的に視線を四方八方に移し、その変化の出所を探ってみたけれどそれがなんなのか突き止めることはできなかった。
(なにかが……)
ふと木製の棚にあった「預言の書」を手にしてトランプをシャッフルするように高速でページをめくっていった。
白紙だけの書物はすぐに裏表紙へと辿り着く。
(……そうだよな。この預言の書にはなにも書かれてはいないんだ。ここの部屋フロアの物の位置がずれた……? いやなにかが増えた? ……当局から視察がくるって話だったから父さんか母さんがなにかしたのか?)
九久津は黙って正座していたけれど、ときどき足の先をモジモジとさせている。
堂流は得体のしれない一抹の不安を抱えながらも、ずっと自分を待っている九久津の前に座った。
「毬緒。これからいうことは絵本なんかには書いてない話だ」
「うん。わかった」
「むかしな。口減らしといって親が自分の子どもを殺すという風習があったんだ」
堂流は包み隠さずに告げた。
「……」
九久津はすぐに言葉を失った。
堂流は哀し気な表情をする弟を横目にしながらも息つく暇もなく話をつづける。
「座敷童はそういった子どもたちの思念がアヤカシになったもの。だからそのショックが負力にも混ざってしまうんだろう」
(さすがにここまでしか教えてやれない……虐待を受けつづけた赤ちゃんはやがて声を出さずに泣くようになる。本能でわかるんだろう自分の泣声がつぎの虐待に繋がることを)
堂流はやがて九久津が自身で知るべき事案だと思ったから、日本古来の暗部のつづきを伝えることをしなかった。
人の良心を化膿させたような人の悪意を。
時代によってもたらされたものは義務教育の中で必ず知ることになる。
いや教科書に載っていなかったとしても、九久津がその授業を受けるころには自然と歴史に目を向けて自から日本の過去を繙くはずだと考えた。
「座敷童はそんな目に遭っても福をもたらすアヤカシになるんだからすごいよな?」
「ど、どうしてそんなことするんだよ!?」
「あまり食べ物のない時代だったからだ」
「だったらお父さんやお母さんがあげればいいじゃないか?」
九久津は涙を浮かべながら堂流の言葉に重なるようにいった。
「それが……」
(子どもに大人の理屈なんて届くわけがない……か……)
堂流は中腰になって九久津の両肩をガシっと掴んだ。
そして、そのままゆっくりと目を合わせる。
「毬緒。許せないか?」
(マリーアントワネットはいった“パンがなければお菓子を食べればいい”と。……知らないがゆえの発想。口減らしは世界中でおこなわれてきた。それはフランスだって例外じゃない。まあ、今は、ボナパルテがいるから大丈夫だろう。……どんな国にも陰惨な歴史はある。流れた血や涙は一過性の装飾品でしかない。世界中で何度も何度も悲劇は繰り返されている)
「どうして人間はそんなひどいことするんだよ!?」
九久津も間髪入れずに堂流そのものを人間代表の答弁者であるかのようにして質問をぶつけた。
「それはな……」
(やっぱりここで俺が教えるより……。毬緒も九久津家の人間)
「なあ毬緒。毬緒はもう小学校に通いはじめてるだろ?」
「うん」
「学校ではそういうことを教えてくれる。だから今は学校の勉強を頑張るんだ? ただ、すぐにはざーちゃんが座敷童になる前にされてきたことは教えてはくれない。それでも小学の五年生や六年生になればわかるはずだ」
「……」
九久津は小さい拳にありったけの力を込めながら納得できない様子で眉をひそめている。
「毬緒。わかったか?」
(暴力を振るわれてもなお目の前の親にすり寄るしかできない子どもがいる。……かつてそうして生まれたソシオパスの能力者を知っている)
「……う……ん」
九久津は声を絞り出した。
でも、兄の堂流どこかはぐらかされたようも感じたけれど、今までにない堂流の真剣な表情に気圧されて無理やり思いを飲み込んだ。
堂流の指示通り学校で教えてもらうまで待つと決めた。
それは能力者として尊敬する兄と「救偉人」の勲章を持つ英雄の言葉だからだ。
(教育は正しい人格形成に必要な知識を与えてくれる)
「それまでは毬緒がざーちゃんを大事にしてやるんだ?」
「わ……かっ……た……よ」
九久津は言葉に詰まりながらも努めて明るく振る舞う。
堂流ももちろん九久津が無理やり気持ちを押し込めたことに気づいている。
けれど自分がさらに血塗れの歴史を語れば憎悪の対象が人間そのものに向きかねないことを懸念した。
アヤカシの誕生と歴史の罪は表裏一体。
絶望、怒り、憎しみ、そして悲しみはアヤカシを生み出す好条件で、能力者自身が放つ負力でさそれは巡り巡ってアヤカシの一部になることを九久津自身で気づいてほしかった。
虐げられて、なお小さな体で笑顔を振りまき棲み着く家に幸福まで分け与える座敷童の存在は稀有なのはいうまでもない。
それがどんなにすごいことなのかを身をもって知ってほしかった。
正しく歴史の裏と表を知りそのときに九久津自身が自分で答えを出せばいいという堂流の思惑だ。
「毬緒。人間はむかしから酷いことをしてきたかもしれない。でもな真名ってのを持つ正義のヒーローみたいな能力者だっているんだぞ!!」
「正義のヒーロー!?」
「ああ」
「兄ちゃんの救偉人みたいな?」
九久津は子どもらしくヒーローに憧れる少年の目に戻った。
「まあ近いかもな。そういえば毬緒。なんであんなに俺の勲章の青が好きなんだ?」
「う~ん。わかんない」
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