第101話 下級アヤカシ うぶめ


九久津は安堵した。

 (雛ちゃん。的確な判断だ)

 社は虫の息の姑獲鳥に対しても牽制けんせいし、姑獲鳥がたとえそこで巨体をひるがえしても自分の身に危険が及ばない安全圏の距離を確保していた。

 社が左手に強く力を込めると、すでに弦でギチギチに巻かれている姑獲鳥の体にさらにぎしぎしと弦が食い込んでいった。

 だが姑獲鳥の挫滅ざめつした個所からはすでに硬化現象がはじまっていた。

 アヤカシの中には死後硬直のように硬化していく個体があり、この姑獲鳥もまさにその種類のアヤカシだった。

 

 今の社はいつものようにねずみ一匹逃がさないほど慎重だ。

 制服の内ポケットに右手入れて人型の半紙をさっそうと宙にまいた。

 小さな人型の半紙が紙吹雪のようにヒラヒラと舞う。

 {{六歌仙ろっかせん大友黒主おおとものくろぬし}}={{風}}

 ――ヒュー。っと風がトンネルの中を駆けぬけていくような音がして風の式神は螺旋状の刃となった。

 風の式神はまるで意思のある生き物のように社の腕に合わせて姑獲鳥の硬い体を削っていく。

 同時に社は換気のために亜空間を開放する。

 そのままでは姑獲鳥の粉塵ふんじんが亜空間にこもってしまうからだ。

 風は姑獲鳥の破片ちりをはるか上空へと運んでいく。

 姑獲鳥がこの状態からなにかの拍子で反撃してくることは皆無だ。

 姑獲鳥を完全に仕留めたといってもいい。

 九久津はふたたび安堵した。

 (確実なトドメのさしかた。完璧だ。雛ちゃん、調子戻ったみたいだな)

 社は寸分すんぶんの隙もみせず姑獲鳥を退治した。

 完全な任務の遂行だったが社のミスは区切りのつけかたにあった。

 いや、それをミスとするのは酷なことで、とりたてて騒ぐほどの間違いでもない。

 社自身戦闘になれば戦い・・に集中することは織り込み済みだった。

 今までだって大小さまざまな悩みを抱えて戦ったこともある。

 それでもいっときの迷いが戦闘そのもの・・・・に差し障ったことはなかった。

 

 言い換えればそれは戦闘が終われば気を抜いてしまうことを意味していた。

 上級アヤカシならば戦闘終了時に解析部隊の検証が入り、退治判定が出るまで数日から一週間を要するため、そのあいだは必然的に気の抜けない生活を余儀なくされる。

 つまりは潜在的な延長戦を強いられるということだ。

 ただ中級以下のアヤカシにその必要はない。

 姑獲鳥の破片はいまだ花火の煙のように辺りをけぶらせていた。

 さきほどまでこの廃材置き場は姑獲鳥の鳴き声だけ響いていたが、今はしんと静まり返っている。

 が、ほどなくしてその静寂しじまはたったの一音いちおんによって一変した。

 ――ゴツン。重く鈍い音がした。

 

 その音を細かく表現するなら硬い物とそれより硬い物がぶつかった音だ。

 ぶつかった側はなかになにかが詰まっていてすこし空洞があるようなもの。

 姑獲鳥の破片の白いもやが晴れていく。

 九久津が嫌悪感を覚える音を耳にしたのが先か、社に視線を移したのが先なのかわからないほど一瞬のできごとだった。

 「なんだ?」

 九久津さえ予期しないできごと、いや予想しえない確率だった。

 社の額の一部がドス黒くよどんでいる。

 大きな端材に頭を打ちその場に倒れている社がいた。

 こめかみから流れる血が現在進行形でアメーバ状にじわじわと広がっていく。

 ――シク シク シク シク

 古典的な女性のすすり泣きがした。

 

 九久津は湿ったような泣き声に呆然とした。

 「うぶめ……」

 その泣き声からも仄暗ほのぐらさと陰気さを感じる。

 そねむような泣き声はなおもつづく。

 ――シク シク シク シク

 「……女形めがた産女うぶめ……?」

 九久津の目前にはボサボサの髪に薄汚れた着物姿でぴくりとも動かない赤子あかごを抱いた女のアヤカシがいた。

 ――シク シク シク シク

 産女の口元がカクっと動いた。

 ちょうど泣き声と泣き声の合間に下アゴだけががくんと落ちる。

 口の奥には黒いプラズマのような塊があった。

 

 {{混成召喚}}≒{{サラマンンダー}}+{{カマイタチ}}

 「産女うぶめ!!」

 九久津はわずかの隙もなく焔と風が混ざり合った剣で産女を真横に一刀両断した。

 黒いプラズマは産女の口の中から放たれることもなく、産女の口の奥で――ボン!!っと爆ぜた。