第107話 総合魔障診療医 九条千癒貴(くじょう ちゆき)


ここの診療室は無機質な部屋とは違っていてデザイナーズマンションのように近代化されている。

 内装もとても患者を診る用途だと思えずまるでどこかのカフェのようだった。

 入口から入ったすぐ先は一枚の真っ白な厚手のカーテンが引かれている。

 L字型に仕切られたその奥にある整理整頓された机の上にはデスクトップのパソコンと二台の液晶ディスプレイがある。

 画面の中にはCT画像が表示されていて、診療台の上にはこまごまとした診療器具が所狭しと並らべられていた。

 大きな金属製のごみ箱の中は毎日大量に使用する消耗品のガーゼや脱脂綿などで埋め尽くされている。

 しわひとつない白衣に青の診察着スクラブで、その医師が手を差し出した。

 視線は机の上のカルテに注がれている。

 「では、つぎのかたどうぞ」

 白衣の胸には【九条くじょう千癒貴ちゆき】というネームプレートがある。

 一目ひとめでなにが専門なのかわかるように名前の上には【総合魔障診療医】という文字も見てとれた。

 医師でありながら髪がすこし長くても清潔にみえるのは童顔だからにほかならない。

 あまり陽に当たらないためか肌も白い。

 それでも一言でいえば好青年の医師だ。

 厚いカーテンが空気をふくみ暖簾のれんのように開かれた。

 ――はい。といって入ってきたのは九久津だった。

 九久津は上下浴衣のようなオーソドックスな入院着にゅういんぎで右肘に左手を添え右手をぶらぶらとさせている。

 「では、座ってください?」

 

 九条は九久津にそう声をかけてから手をサッと引っ込めた。

 「はい」

 九久津はゆっくりと診療椅子に腰かける。

 「昨日は目を覚ましたばかりで簡単な話ししかできなかったので今日はきちんと病状について説明しますね? ご両親からもしっかりと診察してほしいとのご要望がありましたから」

 「はい。お願いします」

 「あっ、まず最初にこれをどうぞ」

 九条はデスクのいちばん上の引き出しをサッと開き中からすこし厚みのある封筒をとり出して机の上に置き九久津の前まですべらせた。

 「これは?」

 「原本になります」

 九条は――あっ。ともらしてまだ九久津の目の前にある封筒を自分のもとに引っ込めてから――すみません。と一言謝り封筒からA四用紙をとり出した。

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検査結果報告

被験体の検査方法 

・体液検査

・負力構成要素検査

・皮膚組織(鱗)の形状判断

以上、上記の三検査の総合判定。

――バシリスクとの一致率97.56% 

よって、今回、九久津毬緒によって退治されたアヤカシはバシリスクと断定する。

Y-LAB

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 九久津は左の手で賞状のようなデザインの用紙を受けとった。

 書かれている文字を上から順番に目を通していく。

 その紙の右下には朱印でくっきりと「Y-LAB」という判が押印されていた。

 

 「……じゃあ、バシリスクは」

 「はい。退治されたということです。このコピーはもうすでに世界中に頒布はんぷされています」

 「……あまり実感がないですね」

 「でもWebも更新されていますのでもう全世界の当局が閲覧できる状態ですよ。これを見ればすこしは実感が湧くのでは?」

 九条はPCのキーボード最上部に並んでいる「F1」から「F12」まで中の「F5」のボタンを押して九久津の座っている方向へとモニタを向けた。

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 Japan basiliskバシリスク Extermination(退治)

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 「そうですね。紙一枚よりは実感が湧いてきました」

 「バシリスクとの戦闘のあとは亜空間周囲の破損や崩壊がひどくバシリスクの微細な検体を抽出するのに苦労したみたですけど、Y-LABの技術で鑑定まで持ち込んだみたいですよ」

 「そうですか。ご迷惑をおかけしました」

 九久津はその用紙をデスクに戻すと、右腕を重そうに左手で抱えて頭を下げた。

 「それは僕よりもY-LABにいる救護部や解析部のスタッフにいってあげてください」

 「そうですね。後日あらためて」

 「それがいいですね。この原本はあとで九久津さんの病室に届けさせますので」

 「はい」

 「では病変を診ますので上着を脱いでください」

 「わかりました」

 「あっ、今、看護師を呼びますので。ちょっと待ってください。戸村さ~ん?」

 九条は診察室のドア越しに呼びかけた。

 「はい!!」

 戸村はハキハキと返事をしながら仕切りのカーテンをサッと開いた。

 すぐに現状を把握したようでいったんカーテンを閉じる。

 その場から四、五歩くらい進む足音がして診察室の棚の開閉音がした。

 足音とともに戸村がまたカーテンを開きサッと閉じた。

 「九久津さんのそのままじっとしていてくださいね?」

 「はい」

 

 戸村は九久津の背に回り込んで医療用ばさみでの入院用の上着を切りはじめた。

 ザクザクと上から下にまっすぐ切り目を入れていく。

 九久津の上着が左右で真っ二つに分かれて上腕二頭筋の位置までずれ落ちた。

 羽化する直前の蝶のように九久津の背中が露わになっている。

 「九久津さん。上着に右腕が引っかかるかもしれませんので、私が脱がせますね?」

 

 戸村は九久津に怪我をさせる恐れがあるために医療用ばさみの刃先を自分の方へ向けてスクラブのポケットにしまった。

 

 「はい。すみません」

 九久津は物静かに頭を下げた。

 戸村は九久津の前に回り込んでコンビニのおにぎりでも開くように左と右に分けてササっと上着を引き抜いた。

 入院着の前で結ばれている紐が、入院着の右部位と左部位をかろうじて繫ぎ止めている。

 「戸村さん、ありがとう。あとはもういいよ」

 「はい、九条先生。またなにかあったら呼んでください」

 戸村は九条にそう声をかけ九久津の入院着を手早くクルクル丸めると他にはなにひとつ無駄な動きをせずカーテンを開け閉めした。

 

 「ありがとう、戸村さん。では九久津さん、そのまま手を上げてもらえますか? 左手を使ってもらってもけっこうですので」

 「はい」

 上半身裸の九久津は左手で自分の右腕を掴んで動かしづらそうしながら右肘を自分の頭の高さまで上げた。

 九久津の体には過去のアヤカシと戦いで負ったさまざまな傷跡がある。

 数日前のバシリスクとの戦闘で負ったばかりの傷には皮膚用の痛み止めテープや包帯での処置が施されている。

 「あっ、もう腕を下ろしてけっこうですよ。昨日と比べてどうですか?」

 「まだ、右肩から下の感覚はありません。動きも鈍いです」

 「まあ、この状態ですからね」

 

 九条は九久津の右腕を触診して肌触りをたしかめたあとに両手の親指を九久津の皮膚に押しつけて弾力と反発力を確認した。

 九条が九久津の皮膚を強く指圧しても九久津の皮膚には九条の指の跡がまったくつかなかった。

 それほどまでに九久津の皮膚は硬化している。

 硬まった腕は素人が目視てもわかるようにザラザラしていて白い蛇の鱗模様で覆われていた。

 幾重にも重なった鱗模様はヤスリのように細かな突起があるため九条も慎重に九久津の肌をなでた。

 九条は九久津の腕を弱めに何度かさすってから、今度は自分が座っている椅子をグルリとデスクのほうへと回転させた。

 「まず、人間の皮膚は大きく分けて表皮ひょうひ真皮しんぴのふたつに分かれます」

 九条は九久津を背けたままカルテの余白に人の皮膚の階層構造を箇条書きしていった。

 そこに現在、九久津の腕の中で魔障が進行している部分に印をつけた。

 九条がふたたび九久津のほうへ振り返り、絵本の読み聞かせのようにカルテを開く。

 「さらにその表皮も角質層かくしつそう顆粒層かりゅうそう有棘層ゆうきょくそう基底層きていそうと分かれます。これは医療用語ですので聞き流してください」

 

 九条は口頭で説明した。