九条が思い浮かべたのは日常を切磋琢磨する同僚の顔だった。
それは同じ【総合魔障診療医】の只野或人。
市内には六角市出身の救偉人がふたり存在している。
それは今は亡き九久津堂流と、もうひとりがその只野だった。
九条の描く只野の表情が徐々に形を変えていく。
四十代ほどの只野の表情が急激に歳を重ねると高齢に近い輪郭が姿を現わした。
九条の中で朧げだった表情はある知り合いのイメージに変わる。
「そうだ。四仮家先生なら可能だ。只野先生の恩師なら」
(僕はバカだ。なぜ気づかなかった。血を抜くことに囚われすぎていた。血は抜くんじゃなくて送血するんだ。出血多量の緊急時なら輸血が最優先。ましてや上級アヤカシによる高濃度被毒状態なら魔障毒専用の経皮的心肺補助装置(PCPS)を回して治療する)
九条はまたメモ用紙の紙を破って、そこに簡易的な機械のような図を書いた。
(そうすれば九久津堂流の中にきれいな血液が流れて、毒を含んだ血が脱血する。医師であれば医療廃棄物である毒の血をあとで回収することはそんなに難しくない。十年前であれば医局長であった四仮家先生は手術に立ち会っているはず。じゃなくてもすべての決定権を持っていただろう)
九条の中でキーマンが出現したことによってバラバラだった点が繋がっていった。
(四仮家先生は一般の医療分野でも脳神経外科の権威。医学的知識は問題ない。その立場ならY-LABの解析部にも顔も利くだろうし。またかつては六角第一高校の校長も経験した国家一種の公務員。国家に従事するという点もクリアしている。“医師”の先生と“校長”の先生を兼ね備えた人物なら厚労省のデータベースをも編集もできるかもしれない)
九条はもう一度院内のデータベースにアクセスした。
【四仮家元也】と名前を打ち込む。
すぐにPCがデータを読み込みはじめた。
――キーン!!
警告音とともに大きな文字のポップアップメッセージが現れた。
【お使いのIDとパスワードでは退職者データの閲覧はできません!!】
(……最近は個人情報の規制もきついからな。僕のアカウントじゃダメみたいだ。僕が知りるかぎり四仮家先生の経歴は医師業以外なら高校の校長をしてたってことくらいか……)
九条は思いを巡らせながら右上のバツ印を押してポップアップを閉じた。
そのまままた無意識で九久津堂流のデータを呼び出した。
クラッカーの糸を引いたように画像が一括展開される。
画像はファイルごとのナンバーを無視して何重にも重なっていた。
不規則でいながら不均等な九久津堂流の画像がディスプレイに散乱している。
(九久津堂流……いったいきみになにがあったんだ? 僕はきみの弟を治療したいと思ってる。それには真実を知る必要があるんだ)
九条はブラウザークラシャーでも踏んだような画像を見ているうちにふとあることに気づいた。
さきほどは気づかなかったことだが、画像を相対的に見比べることで気づけることだった。
(どことなくだが毒の浸潤個所が広い気がする。これは人体構造的な違和感じゃなく能力者として見たときの違和感だ)
そこで九条は逆説的に当時の九久津堂流の主治医を調べようと考えた。
主治医が四仮家ならば九久津堂流との接点が強まりこの謎を解く手がかりになるかもしれないと思ったからだ。
だが頭の中ですぐにそれを打ち消す考えも生まれた。
と、同時にPCを操作する手も止まる。
もし、四仮家が厚労省のデータベースをも編集できるのなら九久津堂流の主治医としての情報など残さないと考えたからだ。
仮に残っていてもそれはすでに改竄された情報もありえると思った。
どちらにせよ、これはデータでの判断よりも過去に九久津堂流の手術に立ち会ったスタッフを探せば早いという結論に至る。
九条は画面を凝視しながら天上に向けて腕を伸ばした。
(集中力も切れてきたな)
腕を真横に二、三度伸ばしてストレッチすると急激に立ちあがった。
椅子の背もたれが勢いよく撓み椅子の脚もギシっと音を立てる。
(“しんさつ”ですこし頭を冷やすか。二条はまだいってないだろうし)
九条は今日診た患者のカルテのコピーをスチール棚からとり出した。
縦横きれいに揃ったカルテをまるでトランプを切るようにしてめくっていく。
カルテに目を通しながら、なにかの準備運動のように左と右それぞれの足首を個別に回している。
「えっと。今日は遠方からきた患者さんも含めて使えそうな魔障は“垢嘗”の【溶解剥離】くらいか。垢嘗は人の穢れを嘗めてとってくれる大人しい排他的アヤカシなのに最近は凶暴化しているのか? そういえば座敷童も排他的アヤカシだったっけ? この種はそもそも絶対数が圧倒的にすくないからな」
九条はカルテを閉じる。
――【溶解剥離】。
九条は魔障の名前をはっきりと口に出して読み上げると、壁のハンガーから真っ新な白衣をとり翻してまとった。
そのまま襟を正し意気揚々診察室をあとにした。
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