空がある。
なにげない青空が。
俺はふとそう思って、また目の前の光景に視線を戻した。
今、俺が見てたのは雨の空じゃない俺だけの視点。
最近は慣れてきたせいかⅡを好きな場所に出現させることができるようになった。
近衛さんが驚いていたあの黒い衝撃派も今じゃスポーツ感覚で投げることができる。
一度自転車に乗ることができれば、つぎからはすいすいと自転車を漕げるあれと同じだ。
俺の意思で自由自在にドッペルゲンガーを出現させることができれば、みんなの助けになる。
俺がこんなことを考えてるあいだにも、またどこかの誰かが世界を守ってるかもしれない。
そう思ったのは、今、俺の背中越しに近衛さんが操作した「J」と書かれた柱があるからだ。
九久津がバシリスクと戦闘を繰り広げてから三日目にバシリスクの正式な退治判定が出た。
今日でまる一週間だ。
同時に更新されたWebも各国の関係者を巡り、その影響で世界でもいろんな動きがあった。
俺が聞いた話のなかでとくに大きな出来事といえばヤヌダークがトレーズ・ナイツというフランス大統領直下の十三部隊に選ばれたことだ。
十三あるうちの部隊のひとつを任されるんだから救偉人とはまた違う権力で、すごい出世なんだろう。
確実に世界は動いてる。
なにが起こっても世界が止まることはない……と、思ったけど校長にもらった資料にあった『有史以来、一度もその現象が確認されないグレイグーと呼ばれるカタストロフィーを引き起こす可能性が示唆されている。』ってのが現実におこれば世界もどうなるかわからない。
すこし話は小さくなるかもしれないけど九久津はバシリスクから六角市を守った。
ということは九久津が世界を守ったといい換えてもいい気がする。
俺がソロモン王の柱にもたれてると通りすぎていく人はみんな面白い話をしている。
どれも共通の似た話でトレンドワードってやつだ。
「この柱って夜に動くんだって」
「私も偶然見たよ。柱の前にいたカップルもびびってたし」
「カップル。災難だね!!」
「いつだったか駅で飛び込みあったじゃん?」
「ああ。あった。あった」
「その霊だよ。絶対」
「成仏できてないんだね。きっと」
※
「この前飛び降りした人の呪いだってよ」
俺の横を通りすぎていった男三人組もまた同じ話をしていた。
「あ~あのビルの」
いった人がとあるビルを指さした。
「そうそう。あのビル」
近衛さんもバシリスクのときにいってたな、一週間前にたしかにあのビルで飛び降りがあったんだろう。
一週間前といえば、俺がこの柱で腰痛を悪化させ九久津の家の忌具保管庫を見学しにいったその前日で「六角第一高校」の四階にバッハが出た日だ。
「あの夜謎の地鳴りもあったよな?」
「なんかゴゴゴって地響き聞いたわ」
「あったあった。不気味だよな~」
「あれ原因不明らしいぜ」
「天変地異ってやつ? 地球ヤバくね?」
「ゲリラ豪雨とかヤバいよな」
「地球滅亡の預言的中すんじゃね?」
地鳴りってのはきっと九久津がバシリスクにとどめを刺したあの一撃だ。
こうやって……人の勝手な解釈となにかの出来事が混ざりあって都市伝説や怪談が生まれるのか。
誰かが意図したわけじゃなくてそこにふっと出現する。
俺は今まさにその発祥を目の当たりにしていた。
今ここで俺だけがどうしてこの柱が動いたのかを知っている。
真相を知ってる俺からすれば、この柱が動いたこととビルからの飛び降りにはなんの関係もない。
柱の力しだいでは、その飛び降りを止められたかもしれないけど。
人の想像力がそれらを勝手に結びつけた。
人の想像力にはアヤカシをも生み出すごい力がある。
良くも悪くも、人のイメージはとてつもないものを創りだすってことだ。
無関係な怪談話だって現代であればSNSを通して一瞬で日本中に広まるし。
むかしなら怪談話は何年も何年もかけてじわじわと根づいていったはずなのに……。
最近は電子機器を介したホラーも多いな。
想像がなにかを生みだしていくスピードが早まった気がする。
これはアヤカシが出現するスピードにも影響してるかもしれない……。
ただ当局は先を見越して六角駅前の柱、つまり柱は、あるイベントの企画で動くような仕掛けしていたと広めた。
今、株式会社ヨリシロがそのキャンペーンを担っていて、六角市の市外から六角市に観光客を呼び込むという理由で大々的に宣伝をしている真っ最中だ。
隠すではなく別の理由を拡散めて本来の意図を薄める。
当局がやりそうな手法だ。
当局のソロモン王の柱を隠すため先手は意外と効果的で株式会社ヨリシロの株がすこしだけ上がったと校長は喜んでいた。
それでも校長がヨリシロの社長になってから会社の株価はダダ下がりしたらしく、今回の件で持ち直したのも全体の二割ていどだといってまた悩みはじめた。
株価の上がり下がりで一喜一憂するなんて俺には耐えられない。
まあ、校長は九久津のことやアヤカシのことでもいっぱいいっぱいになってたけど。
六角市の大人たちにとっては駅前のなんやかんやも株式会社ヨリシロのサプライズ企画ってことで静かなものだった。
当局の作戦は大成功だ。
反対に子どもや学生たちは企業の仕掛けなんかどうでもよくてただ単に怖い話を楽しんでいる。
お化け屋敷にいってキャーキャー騒ぐのと一緒だ。
「旧校舎」といえば「幽霊が出る」っていうようなひとセットみたいに、今は「自殺者の呪いで」「柱が動く」って組み合わせなんだろう。
来年の今ごろにはほとんどの人が忘れてるはずだ。
ただ忘れられたとしても世に放たれたこの話が世界から消えることはない。
俺の目の前をいく人も様々なんだろうな? 今日を楽しんでる人、辛いことがあった人。
近衛さんも駅には色んな思いを抱えた人がゆきかうっていってたし。
この柱もただあるだけでは負力は消せない。
使える人が使ってこその道具だ。