第145話 転生の証明 ―魂の重さ 二十一ミリグラム―


 いったい何時間働いてるんだろう? 大人になれば否応なく働かないといけない。

 でも動けないくらい疲れたときはどうすればいいんだ? 俺みたいな高校生ならまだ融通を利かせてもらえるんだろうけど。

 責任を背負っていて休むに休めないそんな大人も多いはずだ……学校でも先生たちは命を削って働いていた両親おやもそうか。

 きっとこれも莫大な負力になっているはずだ。

 難しいな……世界って。

 「沙田くん。すこし時間いい?」

 只野先生のそのトーンは近所で知り合いに声をかけるようないいかただった。

 俺が只野先生のほうを向いてまた診察室の入り口を見たときにはもう、看護師さんはいなかった。

 代わりに部屋の隅にあった只野先生を讃えるプリントと救偉人の勲章が俺の目に飛び込んできた。

 只野先生だってきっと寝る間も惜しんで勉強して現在いまの先生になったんだ。

 

 「はい。大丈夫です。逆にこっちが話のつづきを訊きたいくらいです」

 只野先生はホワイボードに最初から書かれていたなにかの魔障と治療法をクリーナーでささっと消して、ホワイトボードの粉受けから黒いマジックをとってキャップをはずした。

 ホワイトボードの右端でグシャグシャと試し書きをしてから、ホワイトボードの左上にちょんと黒い丸の点を打った。

 「能力者は日常でも常人の極限の力をすぐに使うことができるんだ。ただしそれは絶対に使わなきゃいけなってわけじゃなくて使わなくてもいい」

 「どういうことですか?」

 「机の上から消しゴムが転がり落ちる。それは火事場かな?」

 「いいえ。そんな場面はふつうにありますよ」

 「そう。沙田くんがそこで本気の力を使って消しゴムを掴むとボロボロになってしまう。だからふだん能力者は無意識に力を制御している。ただ戦闘時に脳が瞬時に火事場だと判断した場合に脳がリミッターをカットする許可をだす」

 「ああ、そういうことですか。能力者は臨機応変に力の加減を切り替えることができるんですね?」

 「そういうこと」

 只野先生は今いったことに加えて、さらに簡単な絵も交えホワイトボードにそれらを書いていった。

 黒マジックがキュキュっと音を立てる。

 なんだか学校で授業を受けてるようだ。

 「さっきの話に戻るけど。人間の脳は通常は10%しか使ってない、と」

 只野先生はすこし言葉を溜めた。

 そのあいだもマジックを持った手は文字を書きつづけている。

 「いわれている。この話はまったくのうそで、最近の研究ではほぼすべての脳を使っているという結果が出た。かつては人間の脳の90%は使用されていないといわれていたこともあるんだけどね」

 只野先生は小さい子どもが迷路を書いたようにウニャウニャした絵を書いた。

 それは誰がみてもわかる脳の絵だ。

 「結果サイレントエリアと呼ばれる脳領域を使用している」

 只野先生は絵の真ん中を一定のリズムでぐるぐると囲んだ。

 周回するたびにマジックの線が濃く太くなっていく。

 「僕も人間の脳が10%しか使われていないって話は聞いたことがあります」

 「ただじっさい人間は10%以上脳を使用してはいる。けど多く見積もっても残りの使用量はせいぜい20%から30%。だから常人は30%から40%ていど脳を使っていることになる。じゃあ60%から70%を使っている人間とは?」

 「えっ? えっと、それは……」

 只野先生はマイクを向けるように俺を指した。

 マジックの先が俺を見ている。

 あっ!? 

 そっか、そうか。

 「も、もしかして俺たちのような能力者、ですか?」

 「そう。能力者は生存時に星間エーテル・・・・・・を活発化させているからね」

 「せいかんエーテル?」

 「そう星のあいだと書いて星間せいかんエーテル。現実世界では“魂”と呼ばれるもの。つまり魂の正体」

 只野先生はマジックのペン先を逆にして自分の胸の中央を数回トントンと叩き――魂はここではなく。といってから自分のこめかみにマジックを当て――ここにある。と俺を見た。

 さらに――医学的にも心は脳に存在るということが証明されている。とつなげた。

 

 「魂……」

 いつの間にか俺たち能力者の核心に迫ってきたようだった。

 これってきっとAランク情報だろう。

 「人は死んだ瞬間二十一ミリグラム軽くなるといわれている。それはつまり魂の離脱。まあ僕としてはすべて二十一ミリグラム軽くなるという一定値なのは納得いかない部分もあるんだけれけど。ただそこを別の視点で見ると二十一ミリグラムとは魂をふくむ入れ物の総量なんじゃないかと思ってるんだ。これはすべての人間に当てはまる、ある種の統一規格。また他の生物との互換性もあり、箱の大きさはその個々の生物の体積に見合った容量に変化する。箱に入るものとはその人の性格、嗜好、思想、技術スキルなどさまざま。つまりその人の個性の詰め合わせ」

 「ってことは生物の魂にはすべて互換性があると」

 「うん。そう思ってる。それが自分の前世は猫だったのかもしれないって話になる。まあ、ここでは便宜上、猫といったけど鼠でも鳥でも生物ならなんでもいい。最近、僕はY-LABとこの研究を進めてるんだよ。エーテルという物質は液体、個体、気体でもない第四体でね。火や光がこれに当たる。まあ他の説を唱える研究者も多そうだけど」

 只野先生は子どものように目を輝かせてその話に夢中になっていた。

 大人の人がこんなに楽しそうに話をする光景はあまり見たことがない。

 仕事をこんなふうに楽しんでできれば誰も苦しまないのにな……俺にはわからないけど只野先生のこの発想は新しい発見なのかもしれない。

 

 只野先生は手で箱の形を作って魂が移動するジェスチャーをしていた。

 救偉人の勲章をもらえる人が考えたことだ。

 きっと誰もひらめかない発想ことなんだろう。

 「もし、これが証明されれば”生きづらさを感じてる人”、”生きることに苦しんでる人”にも希望を与えられるんじゃないかって思うんだ。たとえばつぎは植物になってゆっくり生きてみたり、海月くらげになってなにも考えずに海を漂うとかね。もっといえばつぎがあるなら今をもっと頑張ってみようってことにもなるかもしれない。おっと脱線。それでだけど」

 「あっ。はい」

 只野先生はいろいろな要点をふくめてさらにホワイトボードにわかりやすくまとめてくれた。