第151話 改悪する「悪」


 「なにって。ただおまえと会話してるだけだよ? それとも俺の焔が欲しいか?」

 「はっ?」

 「さっきの焔。喜んでたろ?」

 「そんなわけないでしょ」

 ヤヌダークはいいながらフランベルジュの具現を解除した。

 「今回は……」

 ロベスははなからヤヌダークの答えなど聞き入れるつもりはなかった。

 {{炎色反応}}:{{銅}}

 ロベスの両手から焔の先端が顔をのぞかせた。

 焔はそのまま上空へと伸びていく。

 だが、ある位置で成長をやめるようにピタリと止まった。

 ロベスの手から一メートルほどの位置で焔が留まっている。

 揺らめく焔は新種のオーロラのように青とエメラルドグリーンのグラデーションを形成した。

 その焔はロベスの手で飼うペットのようにメラメラとうごめいている。

 「ほらよ」

 ロベスはヤヌダークに向かって焔を放ち、自分はぴょんとうしろに飛んだ。

 (マズい。あいつの能力【曲芸する焔フレイム・サーカス】)

 ヤヌダークは瞬時に身構えた。

 {{オルレアンの障壁}}

 ――ダン。ダン。ダン。

 

 地面から小中大と三段階に分かれた分厚い壁が出現した。

 ヤヌダークから見て一枚目の壁が八十センチ、二枚目の壁が百センチ、三枚目の壁は百二十センチ。

 壁の厚さよりも高さに気を使った、二十センチずつ加算された三枚の壁だ。

 

 (一、いや二メートル追加で高く)

 ヤヌダークはそのままさらに壁の高さをコントロールする。

 ロベスから放たれた青と緑のグラデーションに火球はヤヌダークの上空を軽々と通り越していった。

 ヤヌダークの出現させた壁はロベスの焔の暴投によりまったく攻防の意味をなさなかった。

 ロベスはわざとらしく――あっ、と声を出している。

 「どこに向かって投げてんのよ?」

 (絶対にわざと)

 ヤヌダークは間髪入れずに一段目の壁にぴょんと飛び乗り、さらにアスレチックのように二段目に飛び移って、三段目の壁に飛び乗った。

 そのまま三枚目の壁の角を蹴り上げさらに天高く舞う。

 ヤヌダークの視線のはるか下には焔を放ったままのモーションのロベスがいた。

 「ミスった。コントロールが効かなかった。その壁って武器なのか? 防具なのか?」

 ロベスは頭上のヤヌダークを見上げている。

 ふたりの視線がぶつかった。

 {{十字槍}じゅうじやり}

 「こっちだってやられてばっかりじゃないのよ!!」

 ヤヌダークはその勢いのままロベスに槍を向けた。

 ――ざくっ。槍の先がロベスのマントごと切り裂いた。

 ロベスの右肩から出血個所が見てとれる。

 「悪人ってのはな何度転生したって悪人なんだよ。魂そのものが悪に満ちてるんだから」

 ロベスは右肩に左手を添えヤヌダークを見ることもなく、まるでその攻撃がなかったかのように話をつづけた。

 それでもロベスの左手の指のあいだからわずかに血が滲んでいる。

 「なかにはその考えを改める人だっているわよ?」

 「な、わけない。くく」

 壁から飛び降りてロベスとちょうど背中合わせのようになっているヤヌダークはクルっとロベスのほうへと向き直した。

 ロベスはヤヌダークに背を向けたまま、まるでヤヌダークがそこに存在していないようにいまだ焔を放った空の彼方をぼーっとながめている。

 (ロベス。なにを企んでるの?)

 槍で傷ついたはずなのにその相手てきをまったく見ていない。

 逆にそれがヤヌダークを警戒させた。

 「ああ。そうだ。そういやトレーズナイツの中に裏切り者がいるって知ってた?」

 ロベスは急激にヤヌダークに視線を向けた。

 「また口からでまかせを?」

 「そう思うなら、まっ、いいや」

 ロベスは人に悟られないほど小さな冷笑を浮かべている。

 口の端も目尻もひどく吊り上がっていき、やがて表情にも変化が現れた。

 そこでもまた声を殺してクツクツと笑う。

 「そんな話誰が信じるっていうのよ?」

 (なんなのその薄ら笑い……)

 「いいよ。だってうそだから」

 (また、ほんと腹立つ)

 ヤヌダークの注意力が削がれていく。

 そんなときヤヌダークは不思議な感覚に陥った。

 飛び上がってもいないのに自分の体が規則的に揺れるのを感じたからだ。

 ――ドドドド、ゴゴゴゴ。そんな地鳴りが近くづいてくるようだった。

 

 「な、なに?」

 やがてそれは現実のものだと知る。

 「……ん?」

 (本当に揺れてる?)

 ――ドドドド、ゴゴゴゴの地鳴りが増幅して、さきほどよりもさらに大きく暗渠が揺れる。

 グラっとしていた揺れがだんだんとグラングランする揺れへと変わった。

 ヤヌダークはとっさにはるか前方に目をやった。

 全身緑色でボコンとした体格のいい茶色の腰布だけをまとった魔獣が走ってきていた。

 その魔獣はスキンヘッドで奥目、尖がった耳と下顎から出ている二本の牙が特徴的だ。

 なかには同じ外見でありながら全身黄色の者もいる。

 ボテボテとした体に似合わず、ものすごいスピードで走っている。

 「あれはオークとゴブリンの編成隊……数十体はいる……なっ!?」

 「あんた。なんて残酷なことを」

 火だるまになったオークとゴブリンが肉の焼ける臭いと白と黒の混ざった灰色の煙を上げて先を走るオークとゴブリンたちを無我夢中で追っていた。

 魔獣たちの絶叫と悲鳴が暗渠の中に木霊する。

 オークとゴブリンはひびの入った壁に沿って洪水のように――ゴゴゴゴ。という重い足音を鳴らしてロベスとヤヌダークのほうへと押し寄せてきた。

 「だっておもしろいから」

 (あらかじめ私たちのずっとうしろにオークとゴブリンを集めておいたのね。その群れの最後尾にさっきの火球を落とした。そうすれば当然うしろのオークとゴブリンに火が燃え移り前方のオークとゴブリンもろとも私たちのほうへ走ってくる)

 「狂乱状態を作ったのね?」

 (下級アヤカシだからってなにしてもいいと思って)

 「知らない」

 「オークとゴブリンあいつら見境なく暴れるわ」

 「まるでバーサーカーだな。くく」

 ロベスはまた笑い声を押し殺した。

 半分だけの仮面の蝶も歓喜しているようだった。

 「でも、俺って恐怖を強いるが得意だからさ。政治・・でもなんでもさ」

 「あんたね」

 「おまえはやらなくていいこと・・・・・・・・・・をやった・・・・。なんでかな? やらなくていいことだったのにさ」

 「また意味不明なことを」

 「だから自由を与えてしまいましたとさ~。めでたし、めでたし」

 ロベスは昔噺むかしばなしの締めのようなイントネーションでいった。

 「とりあえず。あいつらよろしく。じゃあ、またな」

 ロベスは負傷した肩を押さえながら一般人では飛べない高さまで跳ねた。

 そのまま暗渠の壁を左右交互に蹴ってさらに高く舞い上がる。

 そして去り際――二週間後。ゲール埠頭ふとう。と捨て台詞を残した。

 ただそれを捨て台詞とするにはあまりに意味が伴っていない。

 「……?」

 (くそっ。地の利を逆手にとられた……。まずはあのオークとゴブリンをなんとかしないと。急がないとこのままじゃ近くの町がオークとゴブリンの鉄砲水に飲まれてしまう)

  {{オルレアンの障壁}}

 ――ダン。ダン。ダン。ダン。ダン。ダン。ダン。ダン。

 八枚の壁が狂騒状態のオークとゴブリンを迎え撃つ。

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