寄白さんは白いリボンでポニーテールに結びなおしてきていた。
お色直しは終わったのか? 今はブレザーとYシャツの両袖を折り返し手首をぐるぐると回してストレッチ体操をしている。
それよりなんて華奢な腕なんだ、さっきもその腕であの重そうな扉を開いたってことか。
「ふぅ~」
寄白さんが大きく息を吐いた。
それは溜息に近くて、どこかあきれた感じだ。
「あんたの目も節穴ね? ってまあそう見える仕掛けなんだけどさ」
「それはどういうこと?」
なんか落胆されてるし。
訊き返したけど寄白さんは俺のその言葉がまるで聞こえないとでもいうふうに、俺から背を向けなにかに備えて身構えていた。
うわっ、無視かよ!?
まあ、たしかにここは俺の知ってる三階じゃないけど、突然ここが四階っていわれて――はい、そうですか。と納得もできない。
――パチン。と廊下になにかの音が抜け、いっせいに照明が消えた。
LEDは残光がないから瞬間的に明が滅に切り替わる。
なのに俺は不思議と暗闇の中でもすべての風景がわかった、辺りの色も鮮明に認識できている。
たしかに闇にまぎれてるはずなのに壁の色が白く見える。
夜の野外で景色を見ている感覚に近い、でも本当にその状態なら色までは認識できないよな~? ……なんだこれ? どんな現象なんだ?
「九久津くるよ」
寄白さんは九久津になにかの指示を送った。
「わかってるよ。だから電気を消したんだよ」
九久津はたしかに人差し指、中指二本で照明のスイッチの「OFF」を押していた。
俺は九久津の指の数まではっきりと見えていた。
寄白さんは視線を小刻みに揺らしながら廊下の前方を確認している。
なにを見てるんだ? あっ、頭が右の方向で止まった、と同時にピアスも揺れる。
俺はこの暗闇であの小さなピアスを目視ている。
黒い十字架……こんなに物が見えるなんて、やっぱここは異次元空間なのか? それとも本当は俺昼休みに岩塩を食べて死んでいて異世界転生してしまったとか? でもそういう場合は女神が俺になにか指示してくれるんじゃ? もしかして女神って寄白さん? じゃあ冒険はもうはじまってる? でも寄白さんは女神の素質にはやや欠ける気がする。
と、ということは寄白さんは死神?
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
すこし離れた廊下の奥から謎の奇声が聞こえてきた。
しだいに鼓膜をつんざくような大音量の叫びに変わった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
とたんに悪寒がする、さ、寒っ!!
同時に俺の体にトリハダが立って体中がゾワゾワしはじめた。
な、なんか嫌な感じ。
あ~なんかヤバいよ、これは絶対ヤバいよ。
俺の目に信じられない光景が飛び込んできた。
それは理科室に置かれている人体模型が雄叫びを上げながら各関節をフル駆動させ樹脂パーツをパキパキ鳴らして爆走してくる姿だった。
な、な、な、な、なんなんだぁ、こ、この学校はぁ!?
人体模型が走ってくるって!?
人体模型はまるで百メートル走の世界記録保持者のようにピシっと背筋を伸ばし腕の振りも理想的な角度、なのかどうかは知らん。
あっ!? 学校の七不思議のひとつ【走る人体模型】だ!!
って納得してる場合じゃねーな。
ただ六角市の不文律を考えたら、ま、まあ人体模型の一体くらい走ってきても許容範囲……。
いや、許容できる、か……? いやいやふつうは走らない……よ……な。
六角市民は「シシャ」を家族、つまり家庭単位で匿うことになってる。
見た目だってきっと人の形をしてるはず、だからこそ自分の家の子どもとして生活の面倒をみるんだ。
「シシャ」が学生にまぎれ込んだ場合、当然匿ってくれているその家庭に帰ることになる。
六角市民はなんだかんだこういう怪奇現象を受け入れる心構えができてい、る、のか? すくなくとも、俺は受け入れられねーぞ。
人体模型は俺の目の前を颯爽と横切っていった。
ああ~微風が俺をかすめる、背中がまたゾワゾワするようないや~な風だった。
「美子ちゃん。あれって人体模型のやつホワイトアップしてるんじゃ……」
「まあ、ホワイトアップなら許す。おい、てめー廊下は走んな!!」
よ、寄白さんが人体模型に注意してるんですけど!?
ところでホワイトアップとはなんでしょうか? この先良いことが起こる予感がしない。
俺はこの現実にも謎の専門用語にもついていけなかった。
人ってどうしてこうなったのかを順序立てて知ることが大事じゃん。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 目指せオリンピックぅぅ!!」
人体模型は疲れた様子もなく折り返してきた。
人間があの速度をキープしていたら相当体力を消耗するだろうな、だが相手は人体模型で疲れ知らず。
やつは鍛え抜かれた体幹(?)でランナーズハイっぽく疾走してきた。
今回の往路のほうが明らかにスピードが速い、って俺意外と冷静じゃん。
「てめー!! 廊下は走るなっつってんだろ!?」