第160話 思案


 バシリスク退治の正式判定から七日後(九久津がバシリスクと戦って十日後)。

 近衛はヤキンを使用して以来、六角市の守護のありかたをさらに見直した。

 昨日の守備力よりも今日の守備力が上回るようにといつも知恵を巡らせていて国立六角病院の地下にパイプラインを通したのもその賜物たまものだった。

 「シシャ」の反乱によって乱れた六角市の結界も市民協力者の手を借りいっそうの強化に努めている。

 突発的な状況だったとはいえ安定的な四神相応しじんそうおうの結界を崩して高次結界を使用したことは緊急と呼べる事象ことだった。

 こと日本において最終手段を使わないこと評価され、その行動がどんなに正しくても切り札を使用してしまったこと非難される。

 

 十年前、近衛は鵺の出現を契機に六角駅の地下を起点とした不可侵領域手前までの進入ルートを作っていた。

 現在、近衛とその部下は六角駅の北側から地下に入りそこから北西約十キロの地点で六角市の地下で不可侵領域が町にどんな影響を与えているのかを探っている。

 現状、六角駅から北西の場所にバシリスクの現れた場所があり駅から北北西の位置

に九久津家があった。

 これを包括的に見渡せば六角市の北側にそれらが揃っていることになる。

 

 今回バシリスクが世界中の負力が集まる不可侵領域を経由してきたことが近衛の気がかりだった。

 他にも近衛が抱える不安要素はある。

 それは十年前、鵺が六角市の中町にある六角大池の上空からゆっくりと下りてきたことと不可侵領域がその直線上にあることだ。

 

 それでも近衛のその不安を払拭させる情報もあった。

 それは九久津堂流が鵺を退治する沙田の行動の一部始終を見届けていたことだ。

 救偉人でもある九久津堂流の評価は当局でもこの上なく高く、なにか異変があれば九久津堂流は六角市の教育委員会を通じて当局に情報を上げることをみな知っていた。

 近衛は自分が認めた人間には”信頼の意味”で性善説を当てはめる。

 

 総じて今の近衛が抱いている不安は、世界中から集まる負力が不可侵領域の中でどんな影響をもたらしているのかということだ。

 それにともないその負力は風穴を通って六角市の下を流れて地上にも流れ出しているのではないかということも危惧している。

 だが近衛はいまだにその手がかりをなにひとつ掴んでいない。

 だがそれが逆に負力が結界をすり抜けていないことの証左になり近衛の安心材料にもなった。

 近衛はそんな目の前の仕事と向き合いながらも空を飛んでいたという刀の存在も忘れてはいない。

 当局の人間は日々の仕事に忙殺されいくつもの仕事を抱えることは当たり前だった。

 ひとつの仕事が終わったから、つぎの仕事がやってくるなんてことはなく時間も場所も選ばずにつぎからつぎへと仕事が増えるのは日常茶飯事。

 今、他の忌具については二条に一任する形をとっていて六角市で動いている忌具についてのまとめ役が二条だ。

 「忌具の再定義」についてもいまだ日本の当局内で据え置かれたままだった。

 その理由は大きくみっつある。

 

 まずは動き回っていたとされる忌具からの直接的な被害が確認されていないこと。

 たとえば六角駅での飛び降りのときに近くにあったとされる黒い絵画も屋上に抗議文のような遺書が残されていたために忌具との直接の因果関係が不明なことなど。

 ふたつめは忌具自身がレベルを自在にコントロールしているという時点で正式な忌具のではなくレプリカ説が払拭できないこと。

 みっつめは動いている忌具のサンプル個体数が「黒い絵」と「黒い藁人形」と劇的にすくなく証拠が乏しすぎること。

 どこの国でもすべては数字・・によってしか人は動かない。

 いや動けない。

 そのために当局内部で保留にするしかなかった。

 「近衛さん?」 

 国交省の部下がそう声をかけた。