第173話 門番(ゲートキーパー) 


――ギギギギ。カラカラカラカラ。ギギギギ。カラカラカラカラ。ギギギギ。カラカラカラカラ。ギギギギ。カラカラカラカラ。

 いくつもの金属同士が噛み合う音がしている。

 一定のリズムを刻むその音はまるで意志のある生き物のようだった。

 子どもが書いた太陽を捻じ曲げたようなオブジェがある。

 それらは角度を変えて幾重にも重なって前方から後方に伸びていた。

 分厚い太陽の奥行きはおよそ三メートル。

 

 重複した太陽はひとつの透明なケースとなって機械仕掛けの歯車たちを内包している。

 忙しなくグルグルと回転しているギミックは最前面にある微動だにしない三本の針とは無縁だ。

 この時計は構造上外観と中身が連動してないことを示している。

 「11時57分49秒……」

 

 一条はスケルトンあるいはシースルーなどと呼ぶ太陽の中にある時計ものの時刻を読みあげた。

 体感で一秒、さらに一秒、また一秒と経過していく。

 だが目の前の秒針にはまったく動く気配がない。

 一条はいまだ時計を見つめている。

 そしてその視線を時針、分針、秒針から逸らして仕掛けなかみに向けた。

 (この時計は歯車が欠けてもきっとときを刻んでいく。そう終焉おわりまで残り僅かなときを。ただしこの時計が刻んでいるのはこの世界に流れる時間とは別の速度域の時間ときだ)

 一条はこの仕掛けに世界の縮図を見ている。

 「なあ?」

 一条が首を傾げてふと脇見をした。

 「はい?」

 ちょうど人ひとりが腰かけられるような岩に座っている者が返事をした。

 黒いマントを羽織っていて金髪のポニーテールの男だ。

 男の顔の上半分は仮面で覆われている。

 その仮面がもし上下対称でひとつなら仮面の中央にはアゲハ蝶の模様が浮かぶだろう。

 黒いマントにはどこかの王国のような紋章が施されている。

 「ぶっちゃけ。あとどれくらいだ?」

 「さあ」

 男は低音で紳士的に応答した。

 一条とはどこか顔見知りだという雰囲気が漂っている。

 その証拠に男はいまだ岩に腰かけたままで訪問者をもてなす素振りがないからだ。

 だがものすごく親しいという距離感でもなくそこまで他人行儀でもない。

 何年かのつきあいのある取引相手そんな関係性に近い。

 「って、まあそうだよな。前よりも一分九秒進んでる。危険水域からは脱してねーってことか? 逆に沈んだのか?」

 「一条さん。ほら」

 「なんだよ。ツソン」

 一条にツソンと呼ばれ男はサソリの尻尾のような爪でトントンと時計のほうを指さした。

 おもむろに目を向けた一条の表情が一変する。

 「なっ!? 11時57分50秒。終末時計の秒針が一秒進んだ」

 「きっと秒針の変わりめだったんですよ?」

 「あと二分十秒か……」

 「でもその二分十秒は一年後かもしれないですし、二年後かもしれないですし。あるいは……十年後かもしれません」

 「笑わせんな。十年なんてもたねーよ」

 「俺も同じ意見ですね」

 「一年……もたねーかもな?」

 一条のつぶやきは虚しく消えた。

 ツソンは足を組みかえ辺りに視線を散らした。

 

 「目には見えないですけれどそこらじゅう負力だらけなんでしょうね?」

 (つい十時間前にあのホッキョクグマ見たばっかだし。その前はタテガミを捨てたライオン。原因がすべて負力ってわけじゃねーけど。確実に世界は変わってきてる。Y(時間)軸からの警告? それとも忠告? どの道時間はねーってことだよな? 近衛の話だとX(並走)軸も干渉してきてるようだし。さらにボナパルテの口から蛇の名前が出てくるってことは六角市内の騒ぎも面倒なことになりそうだ……。下手すりゃなにもかもぜんぶ道連れってことか)

 「でも、ときどき時間は戻りますから」

 ツソンはすこしだけ声を弾ませた。

 「何年か前のノーベル平和賞で三十秒戻ったんだっけ?」

 「そうです。わずかながら人の希望がひとつなぎになったんでしょう」

 「……他に時間が戻った前例ってなにがある?」

 「長くつづいた戦争の終結や核兵器開発の一時停止など、それに絶縁状態だった国同士の国交回復などですかね。要するに多くの人間にとって喜ばしい出来事。けどそれは特権階級マイノリティの不利益ともいいますけど。それと別角度ですけど画期的な治療薬の開発でもあればそれもですね」

 「最後のムリムリ」

 一条が投げやりにブンブン音を立てて手を振った。

 蚊を払うように今だ空気を裂いている。

 「開発に成功した特効薬が既得権益きとくけんえきで潰されてきた前例をいくつか知ってる」

 ――“希望”とはすぐ手に入る状態になって渡すべきだ。

 

 一条は今さらなながら九条の言葉は的確に的を射ていると痛感した。

 ツソンは――ふっ。っと意味深に笑う。

 それはどこか憐れみを含んでいるようだった。

 「既得権益といえば戦争もそうですよね? あれも間違いなくビジネスですよ。俺の知人にねものすごく戦場を憎んでるやつがいるんですよ? あまりに憎しみがすぎてちょっと問題アリなんですけど」

 「誰だって戦争は憎いだろ? 先導してるやつ以外は。あっ、わりーけど。もう帰るよ」

 「ジーランディア内部なかに入らなくていいんですか? 滞在時間ほんのすこしじゃないですか?」

 「内部たって各国の首脳陣以外は島の一階層しか入れねーだろ? 意味ねーよ」 

 「そうですか。けれど一条さんがここに立つためにどれだけの組織が許可を出してどれだけの書類を作成したんですか?」

 「いいんだよ。それが仕事だ。俺はこの目で時刻を見れればよかったんだよ。じゃあな」

 (負力が溢れてアヤカシが産まれる。そこに付随する忌具と魔障。だから世界が病んでいく。そして時計は進む……。逆でも公式は成立するのか。世界が病むから負力が増大する。そしてアヤカシと忌具が生まれ魔障も起こる。そして針は進む。完璧な悪循環ができあがってるな。誰にも断ち切れないデフレスパイラル。これを途絶えさせる方法は……希望……か。漢字ならたった二文字なのにな……? 遠いな希望ってのは)

 「わかりました。では、またのお越しをお待ちしております。外務省・・・の一条さん」

(この世界が創られたとき最初は希望の世界だったのか? 希望が薄れて絶望にシフトしたのか? それとも最初から絶望だったものにさらに絶望が増したのか? 鶏が先か卵が先か……世界の中心にあるロンギヌスの槍を引っこ抜けばわかるか)

 一条がジーランディア大陸に上陸するつい三十分前。

 一条の元に日本から新たな”新死海文書”の解読文の一節が届いていた。

 それはやはり朗報のたぐいではなかった。

 【殺戮の魔王。戴冠たいかん間近】

 

 (また俺の仕事を増やしやがって。魔王ってなんだ? またアンゴルモアじゃねーだろうな? あれは大王か。けどこういう預言めいたものの象徴ってのは解釈が多いだけで大体同一人物なんだよな? となるとここ最近名を馳せはじめた蛇ってやつが魔王ってことか? 蛇は旧約聖書でルシファー、イコールサタンであり魔王……。ほんと時間がねーな。世界も。二十四時間働く自分おれも)

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 ツソンは唇を歌口うたぐちに当てると静かに息を吐いた。

 人の橈骨とうこつ尺骨しゃっこつそれに指の骨が螺旋状に巻きついた真っ黒なフルートからおどろおどろしい不協和音が鳴った。

 ツソンのやや前方で真っ白なローブを羽織り両手をロープで縛られた虚ろな顔の人間が何人もいる。

 ロープが食い込んで手首がうっ血した人たちがトボトボと歩きはじめた。

 裸足のためか足の裏や甲からもうっすらと血が滲んでいる。

 前を歩く者の腰紐と後方を歩く者の手のロープとが結ばれてひとつの列をなしていた。

 列が進むのは小高い丘の上で、その終着点は景色をナイフでドスンと切ったような断崖絶壁だ。 

 ツソンの音色に合わせて人々はゆっくりゆっくり歩幅を縮めていく。

 先頭をいく者の爪先が崖の先端で前方に傾いてからはすぐだった。

 前の者に引かれてつぎからつぎへとドミノのように落ちていく。

 ――ばしゃん。ばしゃん。と人の数だけ入水じゅすい時に大きな水飛沫みずしぶきが舞った。

 

 (これは自然治癒力を失くした地球の救済。代理の自浄作用なんだよ。俺にはなぜこのハーメルの笛が忌具なのかわからない)

 ツソンはいまだ泡立つ水面みなもをながめ、フルートから人型の骨をとり外してクジャクの羽根のような黒い翼のオブジェを装着させた。

 (セイレーンの笛。これも罪を洗い流すにはちょうどいいだろ。ジーランディアここは世界のごみ箱……。けれど誰に対してのA級戦犯なのか? 国連の存在意義とは……)

 終末時計、現在の時刻。

 

 11・・56・・15・・

第四章 END