第180話 授業


 二年B組にーびーの教室に戻って九久津からの返信がないかスマホのチェックをしたけどなにもなかった。

 校長室で話し込んだとはいえまだ朝だ応答がなくてもしょうがないよな。

 なんとなくそのまま当局のWebにアクセスしてみる。

 画面をスライドさせるたび非日常があった。

 俺は教室のうしろの隅のカーテンのある辺りまで移動してまたスマホに向かう。

 ページが変わるごとに現実離れした世界が俺の目に飛び込んできた。 

 たしかにバシリスクは九久津によって退治されていた。

 俺はあの場にいたけどWebにある情報より知っていることはすくなかった。

 たとえばバシリスクの攻撃の特徴なんかがそうだ。

 バシリスクは頭上から獲物を襲うことを得意としている、そんなようなバシリスクの性質を知ることができた……。

 なぜだか背中の右側・・・・・うずく……痛くないけど、痛い、いや痛かったことがある気がする。

 鋭い物で背中から刺されるような痛みきっとこれは俺の体験じゃない。

 中のやつか? なあ、おまえは俺になにを伝えたいんだ? 俺は昨日の今日でもどことなく中のやつとの同居に慣れてきていた。

 スマホの画面をつぎのページにスライドさせるとまたバシリスクと九久津のことでいっぱいだった。

 九久津はやっぱりすげーな。

 早く、怪我を治して学校に戻ってこい。

 俺はそれからもしばらくWebを見ているといつの間にかホームルームの時間が迫っていることに気づいた。

 寄白さんはあの古めの髪飾りをしてホームルームに臨んでいる。

 最近のお気に入りなのか? あるいはリボンのローテーションだけじゃバリエーションがすくないからか?

 一時間目、理科。

 体育じゃなくて良かったー!!

 これはまあ昨日しっかり時間割を確認したから当たり前なんだけど。

 ただ授業、開始五分で放課後までの長さを考えて絶望する。

 あー延々すぎる。

 パフェがあるから昨日のご褒美アイスをやめたのに……この先にパフェがあるとはとうてい思えない、放課後に辿りつける気がしない。

 「細胞壁があるかどうかが動物と植物の違いだからな。みんな覚えておけよー」

 理科の先生は淡々と授業を進めていった。

 やっぱり先生も俺らと同じくまだ一時間め早く仕事終わんねーかな?って思うのかな?

 「はぁーい」

 「先生」

 「なんだ佐野」

 おっ、最近の佐野は勉強熱心だな。

 佐野はきっと俺と違ってふつう・・・人間ひととして大学にいって就職してアヤカシとは関係ないふつうの人間ひとの世界で生きてくんだろう。

 ってそんなの当たり前か。

 いや、この学校の生徒でいうなら俺と寄白さん九久津以外の生徒はみんなそうなんだろう。

 よくいう棲息む世界が違うってやつだ。

 でも俺は俺に与えられた力で誰かのために人生を全うする。

 まあ、それでも高校の勉強は頑張ろう。

 九久津も学べることはすごいことだっていってたし。

 ふつうに学校にいって勉強する、正直、めんどうだと思うこともある。

 朝はゆっくり寝てたいしゲームもやりたいし。

 それでも心の底からぜんぶを投げだしたいとは思わない。

 なかには勉強したくてもできない人もいるんだから。

 

 「先生。さっき人間の細胞の数はだいたい六十兆個っていってましたよね?」

 「ああ、それがどうした? あっ!? あれか最近の結果だと人間の細胞は三十七兆個だったってやつか?」

 「いいえ。どっちも初耳です」

 「そっか。最近の研究結果では人間の細胞は三十七兆個だと判明したらしい。通説だった六十兆個よりも信憑性があるからそっちで覚えたほうがいいぞ。んで佐野なんだ?」

 「ああ、えっと。髪の毛一本なら細胞の数はいくつですか?」

 「ん……? まず結論から。髪の毛は根元ねもとにひとつ細胞があるだけだ。つまり毛根な。それが細胞。髪の毛全体は細胞じゃなくタンパク質ってことになる。ちなみに爪もな」

 「へー」

 

 「佐野。わかったか?」

 「はい。わかりました」

 佐野ますます、やる気だな。

 まあ、これが高校生の本分ほんぶんだし。

 佐野は先生の言葉をそのままノートにカリカリと書いている。 

 おばあちゃんが亡くなってからの佐野は見違えたように勉強に打ち込んでいる。

 佐野のおばあちゃんは戦争で”学ぶこと”を奪われたらしい。

 日本語の文字を「読む」ことはできるけどひらがな以外を「書く」ことはできなかったといっていた。

 なかには勉強したくてもできない人がいるそのひとりが佐野のおばあちゃんだったんだ。

 佐野自身なにか思うことがあったんだろう。

 も、文科省、いいよ。

 二時間目に美術なんてセンスあるわ~。

 情操教育じょうそうきょういくは大事よ。

 そこまで覚えることもなくかつ体力も使わない、それでいて眠くもならない、ナイスセンスだ文科省。

 いや今日の朝も思ったけど今日の二時間目を美術にしたのは文科省じゃなくて職員会議か。

 「先生。ミロのヴィーナスに腕があったらその価値はどうなってますか?」

 佐野、二時間目もやる気だな。

 主要五科目以外だって立派な勉強ですくなからず内申書にも影響はある。 

 「う~ん。そうだな腕がないことで芸術的価値が上がったともいわれているから腕があった場合はもしかしたら今よりも評価は低かったかもしれないな。ただ反対にすべてパーフェクトな形で出土しても今より評価が高かったかもしれない。なんだかんだ結果論かな」

 「そうですか。じゃあ逆に僕がいま本物のミロの腕を発掘したとしたらそのは評価されますか?」

 「お~お。佐野もしろいこと考えるね? それが完全にミロのヴィーナスと一致した場合は相当な評価を受けるだろう。なんたって誰でも知ってる石像のパーツなんだから。ただし年代にもよるけど日本でよくわからない腕だけの石像を発掘したとしてもそれだけじゃ価値も値段も二束三文だろう」

 「なるほど」

 「結果。芸術とは創られる評価でもあるから絶対的な数値はないってこと。よくあるだろ? 価値がわからずに捨てられちゃう名画とか」

 「はい、ありますね。取引価格何十億円とかの絵ですよね?」

 「そうそう。見かけじゃわからないってことさ。ただこの時代だとハッシュタグ腕、発掘。みたいなのがSNSで拡散されてどこかの富豪が高額で買いとるような夢物語はあるかもしれない。ネットで広がった時点で、”あのネットで有名な”って枕詞まくらことばがつくからな」

 「結局、知名度が価格に直結するってことですか?」

 「まあ、そうだな。その作品のバックグラウンドによる付加価値は大きいかな。とくに苦労人のストーリーがあると価値は上がりやすい」

 「艱難辛苦をのりこえてこれを創りましたって付加価値ですか?」

 「そうそう。人はそういうサクセスストーリーや美談が好きだから。それに悲運や悲恋なんかも」

 「わかりました」

 今日の三、四時間目は国語と古文の連結授業だった。

 今、俺らのクラスは漢字の小テストをしている最中だ。

 おんなろうはな、なんだこれ? 女郎花じょろうばなとしか読めん。

 騙されるな、俺。

 これはあくまで漢字の小テストだ、そのまま女郎じょろうなんて呼ぶものは出題されないはずだ。

 なにか別の読みがあるに違いない。

 思考パターンを変えるんだ。

 三兄弟なら長男、一郎。

 次男、次郎。

 三男、三郎。

 そこに待望の女の子が誕生したとき人はどう名づけるのか。

 その選択肢はひとつしかないだろう、なあそうだろ、そうだよな? その名前はズバリ女郎じょろう

 女郎じょろうしかない!! 

 女郎じょろう以外にない!!

 

 ……む、無理だ。

 どこの誰が待ちに待った妹に女郎じょろうなんてつけるんだよ? は、はうっ!?

 時間がどんどん過ぎていくこの問題を捨ててつぎいくしかない。

 さらば女郎花じょろうばな

 「はい、つぎの答えです。これは女郎花おみなえしと読みます」

 お、おみなえしだと。

 「じょろうばな」との共通点は「な」の一文字のみこれは初めから知ってる人以外まったくわからない漢字、か、完全に無理ゲーだったか。

 まあ、そこはしょうがない、だが「おみなえし」とはなんだ? せ、先生その答えをいわぬままに「ところてん」にいきますか? 「ところてん」はわかりますよ夏場にときどき食べますからね。

 夏バテのときのあのひんやりツルツル感は助かりますよ。

 け、けど、なんだ? 「おみなえし」、ああ、なんなんだ「おみなえし」って? エネミーなら「おみなえ師」、それは――「おみなえ」をする人アルよ。って答えるぞ。

 ちょっとだけ陰陽師おんみょうじ感も香ってるし。

 「なあ、佐野、女郎花おみなえしってなに?」

 「植物の名前」

 「ああ~植物か」

 日本語の植物や花の名前ってそのまま読めない漢字も多いからな~。

 紫陽花あじさいとか向日葵ひまわりはなんとなく読めるけど漢字と発音に違いがありすぎんだよな。

 ただ名前と感じには由来があってって、あっ、これは御名隠しに通じるものがある。

 御名隠しは日本語特有のものだもんな。

 そっか、そういう国なんだ日本って。

 けど俺、そういうの好きかも漢字や言葉の意味とか。