――すみません寄白校長。日中は失礼な態度で。あのFAXを送ったのは部下なもので。
とはいえ今の私にはなんの権限もないのですが――
元六角第一高校の校長だった四仮家が繰に電話をしてきたのはちょうど放課後に当たる時間だった。
四仮家は現在、総務省の参与という組織図に載らない非常勤ポストの役職に就いている。
国立六角病院の総合魔障診療医九条がその行方を探している人物でもあり外務省の一条が金銭問題で探りを入れようとしている人物だ。
繰はその電話を終えると亜空間を使って「六角第一高校」にやってきた社と対面した。
そのまま社と四階に向かう。
社はそこである作業をしてまた戻っていった。
※
今、繰は沙田たちのいるスイーツパーラーに合流するため六角駅にいる。
(……四仮家先生が総務省の態度が悪かったって謝ってくれたからまだいいけど。モヤモヤするわ。今日はほんと考えなきゃならないことが多くて大変。ただ沙田くんの不正アクセスは魔障がらみでいったん保留になったのはよかったけど)
繰はいまだ晴れない気持ちのまま駅前の柱に手を当てて、柱のザラつきを感じた。
(この柱がソロモン王のヤキン……)
「あの、すみません、失礼ですけど寄白繰さんでしょうか?」
繰は誰かに名前を呼ばれると、柱をさすっているところを見られた恥ずかしさで手をさっと引っ込めた。
「は、はい。そうですけれどどちら様でしょうか?」
繰が振り返った先には若く見えるけれどどこか頼り甲斐のある小柄な女性がいた。
「急に声をかけてしまって申し訳ありません。私は国立六角病院で看護師をしている戸村伊織といいます」
戸村は膝の前に手を当てて礼をした。
低姿勢な体を起こしてふたたび首より上で頭を下げる。
「えっ!? こ、国立六角病院の看護師さん」
繰はのぞくように戸村の顔を確認して――ですか? と繫げた。
「はい。正真正銘の看護師です」
戸村はそういったあとに繰の耳元に近づき――魔障専門の。と周囲を配慮して小声でつぶやき繰に見えるようにそっとネームプレートをだした。
「あっ、専門のですか? はじめまして。あの私になにかご用でしょうか?」
たった今、挨拶を交わしたていどの見知らぬ女性に繰はまだどこか身構えている。
「お時間よろしければお話しでもいかでしょうか?」
「えっ?」
繰はまた逡巡する。
それは沙田たちのいるスイーツ店に着くのが遅くなるからではなく、この戸村伊織という女性がなぜ自分を呼び止め話をしたがっているのかを疑問に思ったからだ。
身分を偽ってなにかのセールスや勧誘をするのであれば「国立六角病院」の名前を出すはずはない。
なぜなら国立六角病院は魔障等を扱う医療機関であり一般の人間にはあまり馴染みのない場所だからだ。
心のどこかでは入院中の九久津のことも頭を過った。
ただし九久津になにかあった場合はその連絡はまず九久津の両親にいくため国立六角病院の職員が自分に接触してくることは考えにくい。
つぎに思ったのは沙田のことだ。
沙田の罹患した【啓示する涙】が本当は別の魔障だった場合や想定よりも重い病状だった場合、それも現在沙田が点眼薬で血の涙を抑え込んでいる状態からしてこの説は否定される。
みっつめは、昨日病み憑きを発症したワンシーズンのメンバーについて。
これもこんな道で声をかけて知らせることはなく魔障専門医本人から株式会社ヨリシロ経由で連絡がくるはず。
繰は考え一巡させ三つの状況を完全否定したうえで、この状況に悪い予感も良い予感も覚えなかった。
株式会社ヨリシロの社長であり「六角第一高校」の校長を兼務する自分に国立六角病院の魔障専門看護師が声をかけてきた。
これは絶対に実のある話に違いないと繰は戸村の話に乗った。
※
そして繰はその賭けに負ける。
今、ふたりの目下にはパンケーキが置かれていた。
「ここのパンケーキ食べてみたかったんです。すみません。こんな個室まで用意していただいて」
戸村はさっそくフォークとナイフを手にしている。
今、運ばれてきたばかりのパンケーキからはほのかに湯気が立っていて焼きたてなのがわかる。
ハチミツにホイップクリームそして固形だったバターがドロリと溶けて皿の底に滝のように流れ落ちていった。
「いいえ。ここはうちの系列店ですので」
(本当にパンケーキが食べたかっただけ……なのかな? 私を使えばすぐに入店できるから……とか?)
繰の一存で繰と戸村は株式会社ヨリシロ系列の飲食店の個室にいる。
同世代のふたりはパンケーキを注文してから、しばらくどこのなにが美味しいといういわゆる表向きの話題で時間を潰した。
戸村はパンケーキの中央に切りめを入れてふたつに割った。
つぎにナイフの角度を九十度に傾けて真一文字に切る。
その裂け目にハチミツとバターそれにホイップクリームの塊が落ちていく。
「わ~美味しそう」
戸村は小分けにされたパンケーキの上でナイフを拭くようにしてパンケーキの表面にシロップ類にすりつけた。
「ですよね~。戸村さんスマホで写真とか……」
「私は魔障の処置に当たる看護師ですよ」
戸村は目だけで繰の言葉を遮っていた。
ただその言葉に嫌味のニュアンスはいっさい含まれてはいない。
戸村はまたパンケーキの表面にナイフを当てるとまるでパンケーキのパンでシロップやクリームを拭きとるように刃先を何度も擦っている。
「ごめんなさい」
繰もその意図を汲んで戸村に謝ったとき戸村の笑みとともビュンという音が空気を裂いた。
その笑みは繰を許すという合図ではない。
戸村の目は凛々しくただ目の前にいる対象者を映していた。
今のいままでパンケーキを切っていたナイフの先端が繰の首筋わずか数ミリのところにある。
そこから軽く手前に手を引くだけで繰の首筋には大きな裂傷が作られるだろう。
戸村は手首の角度をゆっくりと変えて繰の首に刺さりやすい位置に刃先を突き立てた。
養護教諭でもある繰はそれが動脈の場所だとすぐに気づく。
「……!?」