第226話 車中


「どこまでですか?」

 ごま塩頭の運転手は後部座席を振り返った。

 「国立六角病院・・・・・・まで」

 「かしこまりました。足元お気をつけください」

 運転手は前方を向き直して一瞥いちべつもせずに手元のレバーを引いた。

 なかば習慣的な行動であるためにその行動は無意識におこなわれている。

 「はい」

 ――バタンと無機質にドアが閉る。

 「タクチケでの支払いですけどいいですか?」

 

 「はい。かまいませんよ」

 薄暗い車内、運転手はルムーミラー経由で後部座席を再度確認した。

 座席からすこしだけ腰を浮かせ目を細めて鏡の奥をながめる。

 運転手は疲労した様子の少年に見覚えがあった。

 おそらく同僚の誰に訊いてもその名をいえるほどに有名な人物が今、自分の運転するタクシーに乗車している。 

 「あの失礼ですけど? あなたは九久津さんのところの?」

 おそるおそる声をかけた。

 これが間違いであればお客に失礼になるけれど「六角第一高校」の制服を着た未成年こうこうせいに言葉をかけずにはいられなかった。

 「はい。そうです。九久津毬緒です」

 「やっぱり、そうでしたか?」

 運転者はルームミラーに触れてうしろがよく見える角度に変えたあと背中を座席に預けふたたびシートベルトの位置を調整した。

 

 「私たち六角市民は寄白さん家やきみの家、それに真野さんの家のおかげで平和に暮らせていますからね。あっ、申し訳ないですけれど九久津さんもシートベルトの着用お願いします」

 「あっ、はい」

 九久津も促されるままシートベルトをたすき掛けにした。

 九久津自身その運転手のことは知らない。

 どこかで会ったかもしれないとも考えるが会ったことがなくてもとくに問題はなかった。

 なぜなら包括的に考えて今、乗車しているタクシーは株式会社のヨリシロの関連会社で自分のことを知っている可能性が極めて高いからだ。

 もとより九久津がタクシーに乗ったさいに九久津が告げた「国立六角病院びょういん」が通じた時点でこの運転手は魔障の存在を知っているということになる。

 

 「いえいえ。ヨリシロ関連の運転手さんたちも本業の他に六角市の結界を強化する役目を担ってらっしゃるじゃないですか? 手袋の下だってその代償で……」

 「ええ、まあ、でもこれも職業病みたいなものですから」

 運転手は右手で左手をさすりハンドルを握りなおした。

 九久津の位置からはその手元が一目瞭然だった。

 「じゃあ、おたがいさまってことですよ」

 「そうですかね。じゃあ発車しますね?」

 運転手は右方向にウィンカーを出しシフトレバーをDドライブに入れてサイドブレーキを解除した。

 左足を気持ていどブレーキペダルに置いたまま右足でアクセルを徐々に踏み込んでいく。 

 「はい。お願いします」

 「運転手さん。痣でなにか困ったことってありますか?」

 運転手は九久津の言葉を聞きながらもサイドミラーで後方の車を確認している。

 視線をルームミラーに戻して後続車がいないことを再確認しもう一度サイドミラーを見た。

 「これですか?」

 運転手は――これは。といいながらももちろんハンドルから手を離さずに九久津の問いにうなずく。

 頭がこくっと動いたと同時に車体がなめらかに車道へと流れていった。 

 「子どもが小さいころは私が怪我をしているのと勘違いされてましたね」

 「……幼い子がみたら怪我のように見えるのかもしれませんね」

 「ええ。子どもがもっとちいさいころは抱き上げるだびに嫌がって泣かれたものです。黒い手が怖かったんでしょうね」

 「それはなんといっていいのか……」

 「いえいえ。九久津さんのせいではありませんので。そんなときは家の中でも白い手袋をつけるんですよ。あの子にとって父親の手は”真っ白”って記憶なんじゃないでしょうかね……」

 運転手の身の上話ととも車体は進んでいく。

 本当にタクシーが動いているのかわからないほどに町の景色はゆっくりと流れていった。

 群れの一部のようにタクシーの前後にも数台の車が走っている。

 何台もの対向車とすれ違うこの道路みちはまるで人間の血管のようだった。

 「そうですか。……でもY-LABではその魔障きずあとをきれいに消せるような方法を探ってるみたいですよ」

 やがて大動脈に辿りつくと赤いランプと黄色ランプと青いランプが詰まった血管の流れをきれいにしている。

 ここでは血液を送り出すポンプが変則的に七本ほどあって交差点では誰もが速度を落としてすれ違っていく。 

 「ほ、本当ですか? それはありがたいですね~」

 背後からでも運転手が喜んでいるのがわかった。

 「早く治療法が確立されるといいですね?」

 「ええ、でも、まあ私たちも一般人も六角市まちの平和に貢献できるのならって思いもあるんですよ。私もね、六角市に在住んでいてもアヤカシの存在ってのは半信半疑でしたから。ただタクシーに人ではない者・・・・・・を乗せてしまったときに、ああ本当にこの世界にはこんなことがあるんだなと思ったしだいです。先輩運転手がいっていたのでいつかは自分も経験するかもしれないとは思っていたのですが……」

 「……どんなお客だったんですか?」

 「子どもを探しているという若い女の人でした」

 「子ども?」

 「はい。なにやら子どもが急病だから病院にいってほしいと頼まれて。それでその住所の場所にいくとふつうの民家でしてね」

 「ええ、それで」

 

 「……いっこうに降りる様子もなくてその女性に声をかけると家にいって家族を呼んできてほいというリクエストで」

 「そうですか……」

 「私もなるほどと思ったんですよ。ご家族も一緒にいかれるのかと思って。それでインターホンを押しました。でも、もうおかしいですよね? その女性が車から降りない理由がない」

 「インターホンを押したあとは?」

 「家の中から若い男性と言葉を覚えたてくらいの子どもが出てきました」

 「すると男性はそっと私に千円札を三枚出してきたんです。なんだろうと思ったんですけど……。あっ、あの女性が運賃を忘れた代わりに夫が払ってくれたんだろうって思ったんです……」

 

 「女性は?」

 「私が車内を振り返るといなくなっていました。その夫らしき人は黙って私に頭を下げるんです。とっさにああ、これがそうなんだと思いましたね。さらにその夫はなにもいわずにまた頭を下げてお釣りはいらないといいました。そのうしろでは子どもが両手を上げてママ、ママとはしゃいでいましたけど私の目にはなにも見えませんでした」

 「その女性はつまり……」

 「だと思います……。よくいいますよね。無邪気な子どもにはえると。私はそれ以上なにもいわずに三千円を受けとりました。不思議と冷静でしたね」

 「どうしてですか?」

 「その手の話ってゾッとする話と温かい話の二種類があるじゃないですか?」

 

 「そうですね」

 「だからだと思います。あの女性はただ子どもに逢いたかっただけなんだろうって……。病院でなにがあったとかそんなことはどうでもよくて。ただ子どものところへあの女性を送ることができた。ちょうどうちの子どもふたりめと同じような年齢でね」

 「重ねてしまってことですか?」

 「ええ。ですね」

 「想いの強さみたいなことですか……」

 「まあ、言葉でいえばそうなのかもしれないですね。なんかちょっと車内の空気が……。すみません。九久津さんたちは人を襲うようなバケモノと日夜遭遇してるんですものね。ひょっとして今夜も?」

 「まあ、そんなとこです、ね」

 「頭が上がりません。そのいわゆる能力者っていう人たちには」

 「いえ、生まれたときから僕はこんなんでしたから」

 運転手は九久津からどことなく漂っている緊張感に気づいた。

 「そ……そうだ。ラジオでもつけましょうか? それともMP3プレーヤーでもあれば繋ぎますけど……」

 「えっ、あっ、ラジオでいいですよ」

 「そうですか。FMとAMどちらがいいですか?」

 「お任せで」

 「かしこまりました。なんかすみません。九久津さんたちの聖域に踏み込んでしまって」

 「いえ。お気になさらずに」

 車内にホワイトノイズが聞こえきた。

 途切れ途切れに人の声がする。

 運転手がツマミを絞るとその声は鮮明になっていった。

 アナログではない陽気なDJが車内を仕切りはじめた。

 ――さあ、ではつぎのお葉書にいきましょうか。それとも曲? えっ、やっぱ、葉書?

 

 (俺の退治すべき相手はバシリスクなんかじゃなかった。その向こう側にいる強大な敵。蛇。そして今日わかったこともある。毒回遊症ポイゾナス・ルーティーンは武器になる。ただシルフがあんな黒い風になるなんて。まだ加減ができないからか?)

 ――じゃあ、読みますね。

 (美子ちゃんに気づかれたは痛かったな。いや、あの風なら誰でも気づくか? 沙田も気づいてた。おそらく雛ちゃんも、だ。……これも俺の未熟さ)

 {{遠隔混成召喚}}≒{{百目ひゃくめ}/{{臭鬼しゅうき}}