鵺の残骸はもう目に見える形では池の中には残っていないけれど、解析部が池の水を調査すれば解析できる痕跡は存在している。
沙田はまだ六角大池の畔ではしゃいでいた。
なにがどうなったのか理解していなくても恐竜と間違うような大きな生物が現れて苦しんでいたという断片的な記憶が残っている。
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亜空間から出てきた三割の堂流。
本来の九久津堂流の比率からすると「50%」の堂流だ。
この九久津堂流を「生」と扱うか「死」と扱うかは難しい状況にあった。
「49%」の堂流は己を犠牲にして星間エーテルを離脱させた。
つまりはこの「49%」の堂流は「死」の状態だ。
だが、今、現在この世界には「50%」の堂流と、繰のもとにいる張りぼての「1%」の堂流ふたりが存在している。
「50%」とは単純に半分を意味し、通常一般の人間がこの状態にあったなら危篤になっていてもおかしくないくらいだった。
三割の堂流、あらため「50%」の堂流は体をふらつかせながらも手が届く範囲の木を手すり代わりにして林の中へと足を運んだ。
「なかなか大変だな」
「50%」の堂流が目標にしているのは沙田が置きざりにしたままの虫取り網と虫カゴだ。
ふだんなら何秒とかからない距離をゆっくり時間をかけて進んでいく。
「50%」の堂流にその対象物はすでに見えていた。
背中を木に預け草叢に片膝をつき虫取り網のそばで転がっていた虫カゴを手にとった。
「沙田雅」という漢字とふりがなの「さだただし」という名前の近くを目視する。
「50%」の堂流が虫カゴを縦横に一巡、二巡させても虫カゴの中で読める文字は「沙田雅」と「さだただし」のふたつだけだった。
(この丸文字。それに持ち物にマジックで名前を書ける人物といえば母親だろうな。他には情報はないか……)
「50%」の堂流はそこで呼吸を整えて足元の草叢に虫カゴを戻した。
つぎは池を目指して歩きはじめる。
ここで「50%」の堂流は六角中央公園の周囲の林にⅡがいないことの最終確認をした。
(Ⅱは俺の星間エーテルと共に沙田の中に戻ったか? 同時に戻ったとすれば無事にラプラスの門は潜り抜けているはず)
「きみはどうやってここにきたの?」
「50%」の堂流は沙田のところまで辿りつき、ようやく手の甲で自分の顔を拭った。
「お兄ちゃん誰? お顔、怪我したの?」
沙田は子ども特有の無防備さで他者への警戒心が皆無だった。
(いちおう出血点は手で拭いたけど俺を見ても驚かないんだな?)
「この怪我は大丈夫だから。ちょっと転んじゃってね。きみはどうやってここにきたの?」
「歩いて」
(徒歩? だとしたらこの近くに家があるってことか……なにか目印になるような建物でもわかれば)
「お母さんとよくいくお店とかわかるかな?」
(この歳くらいの子なら母親と一緒に出掛けるはず)
「スーパーYS」
(子どもは素直に答えてくれるから助かる。繰さんのところの大型スーパーか? でもスーパーYSは市民が生活に困らないようにってことで満遍なく市中展開している。たしか大小の店舗ふくめて六角市には十七、八店舗くらいあったはずだ? これじゃあどこに家があるのかわらない)
「お母さんとスーパーYSに出かけて楽しいことあるかな? ゲームとかおもちゃとか?」
「おもちゃと本」
(おもちゃと本か。食品売り場の一角の本棚を本屋じゃないと仮定すれば……スーパーYSでも大型店と中規模店に絞られるな。それにおもちゃといってもなにをおもちゃとするのか? その先を絞り込むにも十店舗以上候補がある。店舗それぞれの特徴を考えて……)
「クリーニング屋さんはあるかな?」
「う~ん?」
沙田は「50%」の堂流の言葉をそのまま――クリーニング?と訊き返した。
(この歳じゃクリーニングはわからないよな。俺の質問が悪かった。クリーニングって言葉は今の毬緒でもわからないかもしれない)
「洗濯屋のことなんだけど」
「洗濯はお母さんがやってる。お父さんもときどきやるよ」
「そっか。いいお家だね」
(こんな子に洗濯物の話を訊いても通じない、か……? 他にこの歳くらいの子が興味を持つもの。おもちゃと本が好きってところになにかヒントがあるかもしれない。あっ、毬緒と違ってこの子ならアニメを観るんじゃ)
「きみの好きなアニメは?」
沙田はそのときに習慣で観ていたアニメのタイトルをいった。
だが「50%」の堂流にはそのアニメに心当たりがなかった。
(……今度は俺の知識不足か。子どもはなかなか手強いな)
「今度、映画館に観にいくの」
「スーパーYSの近くの映画館?」
「うん」
(渡りに船だ。スーパーYSの近くで映画館があるのは南町にある三店舗のどこかさ? そのあたりで目目連を使って沙田という表札を探せばなんとかなりそうだ)
「そっか。あの立体駐車場のある映画館だね?」
「り、りったい。ちゅうしゃ、じょう?」
「ああ、ごめん。ごめん。車がたくさんあるところ」
「うん。車たくさんあるよ」
(となると、ここでまたあらたな問題が。沙田は南町から中町までどうやってきたのかってことだ? 沙田は歩いてきたといった。それは本当のことだろう。ただ、こんな子が公共の交通機関を利用せずに南町から中町までの距離を移動してくるなんて無理だ。いや、そもそも交通機関を利用するにしたってこの沙田ひとりでなんて乗れないだろう。ま、まさかもうすでに開放能力の亜空間貸与を使ってるのか?)
「そっか。わかったよ」
(能力者であればこの年齢でも使うことはできるかもしれない。毬緒だってすでにカマイタチの召喚憑依能力を身につけている。あるいはアウトサイドフィールドにも距離を縮めるような力があるのか? となるとこのアウトサイドフィールドは沙田が出現させたもの? 鵺の出現時に鵺を逃さないようにあえてアウトサイドフィールドで囲んで鵺を退治した? いや、この考え自体が無意味か。そもそもが沙田は特異点の能力者なんだから)
「50%」の堂流は小さな手がかりをもとに沙田の家のおおよその場所までを特定した。
そしてさらにその沙田に質問をつづけて他ライバル店の有無や辺りの信号などから沙田家の所在地をほぼ特定した。
「50%」の堂流はここではじめて数多の木々に憑依させていた目目連と物陰に潜ませたべとべとの召喚を解除した。
アヤカシの召喚解除をするだけで肉体への負担は大幅に軽減できるため「50%」の堂流のとってそれは大きな体力の回復になる。
それでも「50%」の堂流はこの状況を危惧している。
それは自分の体というよりもいまだにアウトサイドフィードが発動されたままだからだ。
(特異点の能力者は今ここにいる沙田だけなのか? 他にもまだいるのか?)
「さあ、家に送っていこう。亜空を使ってだけど」
「ん……? 歩いて帰れるよ」
「そうじゃないんだ」
「お兄ちゃん。なんで?」
(きみはとてつもない距離を超越してこの六角大池まできてしまったんだ)
「50%」の堂流は肩で息をしている。
それでもひとまず沙田を連れて亜空間へと進入した。