「注射は注射って名前じゃなくて”痛てー”って形容詞にしてもいいと思うぞ」
「なんなのその短絡的な発想は?」
「バカ、二条。腕を針で刺されるんだぞ!? 痛てーに決まってんだろーが!? 九条が打っても痛たかったし」
「それくらい我慢しなさいよ。いくら九条が総合魔障診療医だったとしてもまったく痛みなく注射を打つなんてできないわよ。針が痛覚のある皮膚を通っていくんだから?」
「いや、九条はいちばん痛い場所を狙ってる」
「な、わけないでしょ。ならそのアンゴルモアの注射器には僅かながらあんたの負力が入ってるってことになるけど?」
「ああ、確実に俺の清き一票は入ってるな」
「アヤカシとの戦闘で生傷が絶えないのによりにもよって注射の痛みと比較ないでよね? 比較対象を間違えてるわ」
「わかってねーな。あのチクッってなってから痛てぇーに変わってく過程がなんともイヤ~な感じなんだよ」
「あの小さな針によって生命の危機が回避される場合が多いのに。むしろ近代医療に感謝しなさいよ」
「しょうがねーだろ。ミッシングリンカーで体を持ったときからそういうふうになっちまったんだから」
「ふ~。……それが完全に人と同化した証なのかもね。私は私でもあるけどこの体に初めから居た自我でもある」
「今となっちゃこの注射嫌いは空間の擬人化体が嫌ったものなのか。この一条空間の体の持ち主が嫌ってたのかもわかんねー。すでに同化しちまってるからな」
「そこを考えはじめたら迷宮にはまるわよ? アンゴルモアのあの左上の部分はきっと学生たちのイメージね?」
二条の指先が宙を駆けた。
そこには人が日常で使用するような巨大な大学ノートの表紙があった。
風によってその表紙がパラっとめくれると罫線の上を走る数字や漢字、黒く塗りつぶされた化学式や英文など様々な勉強の痕跡がある。
「あれは夏休みとかの宿題か?」
「受験勉強とかかもね? それこそ国家公務員Ⅰ種だったり」
「人の不安も鋳型形成に一役買ってるからな。一生が決まるかもしれねー人生の分岐点はさぞ不安だろう。あっ、絵日記も混ざってるな。夏休みの鬱憤か?」
「学生たちにはあれが恐怖の対象なのよ。遊びたい気持ちを阻むものとしての恐怖なのかもしれないし。毎日しなければならない課題もストレスになるわね。オーソドックスな怪物よりも潜在的な精神負担のほうが鋳型になりやすいのかもしれない。国立六角病院の魑魅魍魎の根源もそういうことでしょ? そういう意味でも子どもにとっての注射器は精神的、肉体的苦痛のイメージなのよ」
二条は視界に入るかぎりアンゴルモアの全体を見渡した。
一条もそれにつられてアンゴルモアをながめる。
(アンゴルモアの左奥には爆弾や焼夷弾、それに何本ものミサイルが突き刺さっている。日本のミームでこれができあがったのなら……おそらく後期高齢者世代のイメージ一九〇〇年代の前半から中盤までにあった戦争の傷跡、か? 一九四五年から計算してももう半世紀以上経過してるのにな……。世界があるかぎり永遠に消えることのない歴史の傷)
アンゴルモアはまるでピカソの抽象画のように人々の様々な恐怖の対象を織り交ぜジーランディアからすこし離れた上空でその巨体を形成していた。
(パブロ・ピカソが”ゲルニカの爆撃”であのゲルニカを描いたんならこのアンゴルモアの体躯も必然の相貌か。歴史的名画はとてつもない訴求力を持っている。使いかたを間違えれば忌具として莫大な求心力を得て破滅へと舵をきるかもしれない……)
「それぞれの人が思う不安や恐怖。それが合わさってアンゴルモアはこの形で具現化した。日本のイメージばかりが合わさってるのはそれが日本発進のミームだからだよな?」
一条はいいながら、もう、何往復もアンゴルモアを見返していた。
アンゴルモアの体躯には注射器やノートの他にも食糧難に対する不安なのか食べ物のアレルギーによるものなのかはわからないけれど多種多様な食べ物が果実のように埋まっていた。
また、借金や増税の苦痛が具現したように札束の世俗的な物もある。
真反対にシンプルなゾンビから子どもが怒りの母親にみる鬼のような形相の顔面、日本古来の妖怪なども綯い交ぜになっている。
「人間の闇や苦悩、怖れに不安、葛藤が好き勝手にくっつきあったって感じね? ミームの伝播は若者が主体のはずだからこのアンゴルモアの鋳型生成にも大きく関係しているはずよ」
節操のないアンゴルモアの体躯からは禍々しい瘴気が放たれている。
ただアンゴルモアはこの場から動き出す素振りはなく依然として沈黙を守っていた。
「負力の構成要素がバラバラでずっと黙っていてくれてるのは助かるわ」
「アンゴルモアの体躯の負力はまだマグマのようにドロドロで固まってねーってことか?」
「ええ、そうよ。負力のタイプが定まって個性が安定すればいっきに動き出すかもしれない。牛鬼のように動的負力を内包しアンゴルモアが世界を蹂躙したら世界は完全終了。私たちは運が良かった。いや、人類そのものか……」
「だろうな。上級アヤカシの中でも超ド級のアヤカシ。けど上級アヤカシにしてみりゃ失礼な話なんだろうな? 赤ちゃんもプロボクサーもすべては同じ人間ですってていどの括りだから」
「専門家たちが専門的知識で作ったのがアヤカシの起源なんだから私たちに口を挟む余地はないわ」
(これも運命の導きってか?)
「そもそも上級アヤカシは個体数がすくないからそこまで細分化しなくてもいいって判断なのかもな? けど、何度も改訂されてるとはいえアヤカシの起源の編纂は明治だぞ?」
「なにそれ? 時代錯誤っていいたいの? いずれ時代に追い越されるとでも?」
「ああ、まったく考えもしない事態が起こるかもしれない。どうして誰もそれを考えなかったのかって出来事が、な?」
「ブレイクスルーか。この時代なら、ありえなくもないわね」
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明治初期 編纂 アヤカシの起源
(改稿済み 最新版)
一、アヤカシとは人を中心とした生物が放つ「負」の力=「負力」を元に誕生する。
上記による生物とは微生物、植物なども含まれる。
(すなわち全生命体である)
二、「負」の力とは主に動的な「憤り」や「殺意」「憎悪」「怨恨」、
静的な「憐憫」「悲哀」「執着」などに二分される。
三、アヤカシの躯体について。
人のイメージが躯体を創造する。
たとえば『ぬらりひょん』
<老人><頭が大きい><知的>などのキーワードをもとに、大まかな鋳型が創造される。
(鋳型とは人が描くイメージが形を成したものである)
この段階ではまだ、ぬらりひょんという概念にすぎずそこに負力が入って初めてアヤカシぬらりひょんとして誕生する。
すなわちイメージが先行して本体が出現するということである。
よって人間同様、ぬらりひょんという種の中に外見が完全一致するものは存在しない。
つまり、ぬらりひょんでも目の大きさも違えば、鼻の形も違うということになる。
(例、江戸時代と現代を比較した場合、身体的特徴からぬらりひょんと判別はできるが骨格などに明らかな違いがみられる等)
例外として、一卵性双生児(双子)のように完全一致に近い容姿のアヤカシは存在する。
また二卵性双生児のように、まったく別外見の同一種も存在する。
原則的に上級アヤカシで知名度の高い個体が同時代の同時期の同空間に存在できるのは一体のみである。
これはそのひとつの個体へ独占的に負力が流れるためであり、よそでは鋳型が形成されないからである。
アヤカシの内面はどの負力要素がどんな割合で構成されるかによって異なる。
動的な負力が多いほど獰猛で狂暴、等。
静的な負力が多いほど温厚、冷静、狡猾、等。
負力の比率によっては両性質を併せ持つアヤカシもいる。
なお静的な負力は人の性格のように様々。
一見、対局に位置する温厚と狡猾も静的な「負」として扱われる。
抑えきれないような爆発的な感情が「動」、内に秘めるような感情が「静」となる。
動的な負力によって体現したアヤカシは思考が欠落した状態が多い。
鋳型によっても、相性の良い「負」の構成要素がある。
例、牛鬼などは鋳型ができあがった時点で、すぐに「動的な負」を蓄積する。
例、学校七不思議に代表される<誰もいないのに鳴るピアノ>は鋳型自体が校内に存在しているために必然的に「静的な負」を引き寄せる。
四、想像力と創造力の相乗効果。
例として日本ではコックリさん(キツネ憑き)。
その正体は狐・狗・狸を当て字にした動物霊だという説や、ただ単に瓶のふたの動く音が――コックリ。コックリ。と聞こえたからという説などがある。
海外に目をむけると欧米の悪魔憑きがある。
このことからも上記の現象はそれぞれの文化と対象者の生活圏に密接な関係がありやはり概念=人の思念がもたらす結果だといえる。
昨今の海外事例ではスレンダーマンが顕著である。
スレンダーマンについては、作者が創作した事実を認めたにもかかわらず体躯を得て体現してしまった例だ。
強力なミームは近い将来、絶大な脅威になりえるだろう。
五、アヤカシの上級・中級・下級のランク分け。
上級・中級・下級のランクづけは負力の内容量で区別される。
※1ある一定の値に対し低級アヤカシ、中級アヤカシ、上級アヤカシ、排他的アヤカシとして分類される。
排他的アヤカシとは他のアヤカシを排除するという意味ではなく低級、中級、上級に含まれない便宜上の区分である。
よって排他的アヤカシの中でも上級の強さを持つ者や、下級ていどの力しか持たぬ者もいる。
特別種のアヤカシが該当する死者は排他的アヤカシである。
なお死者をランクで分類するなら下級である。
【追加分】下記を追加訂正する。
日本で初めて死者のブラックアウトが確認された。
現在も検証中ではあるが簡易検証でも分類区分は上級アヤカシ相当とみられる。
※1一定の値とは負力とネームバリュー等を数値化したものである。
上級アヤカシとは、ある一定以上の負力を内包することである。
たとえば十が低級、百が中級とするなら、千以上は上級となる、ゆえに一万も百万も上級に分類される。
このことから上級に分類されるアヤカシであっても、天と地ほどの差が生じる場合がある。
※ただし悪魔にかぎりゴエティア・ソロモン七十二柱の階級が存在するため、まったく別の生態系とする提案がなされている。
なぜなら悪魔は負力の多寡よりも、イメージが具現した時点ですでに災いをもたらす存在だからである。
いうなれば悪魔はイメージの時点で災厄の象徴だからだ。
万国共通認識として悪魔は絶対的な悪である。
六、ホワイトアップとブラックアウト。
ホワイトアップはアヤカシの躁状態で主に陽気になる。
ブラックアウトはアヤカシの鬱状態で獰猛になり他者に危害を加える。
明らかなエビデンスは示されてはいないがホワイトアップ状態とブラックアウト状態のアヤカシの数はつねに等しいとされている。
ゆえにホワイトアップ状態が多数派の場合、ブラックアウト状態のアヤカシが増えバランスを保とうする。
逆もまた然りである。
必然的にどちらかの総数が増加すれば反対の総数も増えることとなる。
この現象について、一説にはブラックホールとホワイトホールの干渉によるものという迷信的な話があり、有史以来、一度もその現象が確認されないグレイグーと呼ばれるカタストロフィーを引き起こす可能性が示唆されている。
グレイグーは本来の意味であるナノテクノロジーの暴走ではなく、アヤカシのホワイトアップとブラックアウトが対安定し相転移説すると提唱する少数派意見もある。
ブラックアウトした場合は即座に退治する。
ホワイトアップの場合は要観察、どんな影響でホワイトアップしたかの原因究明が必要。
ただしホワイトアップはなんの因果関係もなく陽気になるアヤカシが存在するため判断は容易ではない。
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