雲の下から黒い物体がワイヤーもなくエレベーターのように迫りあがってきた。
それは今、まさに一条と二条が座っているのと同じ物で大人三人ほどが入っていても窮屈にはならない大きさだ。
黒い物体の頂点をすり抜けて人の頭がスッと姿をみせた。
その頭部は布で覆われていて目元だけが出ている。
隙間からのぞく眼だけで眼光の鋭さがわかった。
ただ睫毛は上にカールしていてその人物の柔和さを感じさせる。
もっとも睫毛が長いのは日々砂塵の舞う地にいる影響もすくなからずある。
灰色に煤けたフードつきのローブをまとった人間は黒い物体から上半身だけを迫り上げた。
(……砂漠の守り人、ハン・ホユルか。なんでここに? 壁に耳ありって、か?)
「ハンも参加することになったって。というかアンゴルモアの由来がモンゴルだっていう一説に責任を感じて自薦でここにきたんだってさ」
一条は二条のその言葉にうなずきながらさっそくさっきのタバコに火をつけた。
ハンはいまだ黒い物体に下半身を埋めたままで真横に両手をおき肘掛けのようにしている。
「ああ、そうなの?」
一条はタバコの煙を一度自分のうしろで吐いてからハンへと向き直した。
心ばかりの気づかいで手のひらをパタパタさせて煙を散らしている。
「ハンよろしく。けど、そのアンゴルモアを見てもわかるようにそいつは完全にメイドインジャパン。日本のミームでそうなったんだから今回のアンゴルモアの鋳型生成にモンゴルは関係ねーぞ?」
一条はもう、何度目からわからないけれどアンゴルモアの「眼」と見つめ合った。
ハンは一条の挨拶にただコクリとうなずくだけだった。
それは無視をしているというわけではなく寡黙な人物だという印象だ。
「面倒に巻き込まれる前に帰ったほうが得策だぞ?」
ハンは小さくかぶりを振る。
だが、それとは反比例にその目には大きな意思が込められていた。
「いいのか?」
ハンは再度うなずく。
「奇特なやつだな?」
{{機械仕掛け:鳥}}
ハンの右肩がポコっと膨らむとそのローブの生地が裂けて中からゼンマイや歯車、大小様々な機械部品が溢れてガチャガチャと組み合わさっていった。
歯車もガラガラ噛み合い小さな部品になる。
その小さな部品たちもさらに別の部品と組み合わさって別のパーツになっていく。
いくつもの部品が重なりそれは機械の九官鳥へと姿を変えた。
(おー!! ハンの能力ってドール・マニュピレーターだったのか?)
『それでも責任がゼロってわけにはいかない。由来があるだけでも数パーセントは加担していることになる』
(なんて律儀な)
『それに俺がアンゴルモアの討伐作戦のメッセンジャーになることで討伐作戦をスムーズに運ぶことができる。日本当局で五味から手ほどきを受けてきた。それに晴にも大きな借りがある』
(なんで鳥が話すんだよ? 前に会ったときハン本人はどうしてたっけ? そういや会話してないかも……。――晴には大きな借りがある。って
二条と親しかったのか? 初耳だな……)
「一条。そういうことでハンが潤滑油になってくれるってさ。それに五味さんの代理もハンがしてくれるって。……もう、すぐ作戦決行らしいわよ」
この瞬間も二条の足元からはつぎつぎと雲が転がっていって積乱雲に積み重なっている。
「作戦決行って二流派の決着はどうなったんだよ?」
「星読みで結果を出したってさ。それはさっきの虫の報せで聞いた」
「星読みか……むかしも星を解読んでは凶星だのなんだのって騒いでたっけ? 疫病が流行ったり災害だったりで簡単に元号変えてたな? 一年で数回、変わった年もあったっけ?」
「それも時代よ」
「何回変えてんだ? 携帯のアドレスじゃねーんだぞ、ってな」
「祝事で変えることもあったんだからいいじゃない。あのころはそんな大事じゃなかったのよ。あっ、いえ、たしかに大事ではあったけど現代のようにコンピュータープログラムすなわちインフラに影響することはなかった」
「まあな。んで、どっちの流派がテープを切ったんだ?」
「二流派同時にはさみを入れたって」
「はっ!? バカなの? やっぱりバカなの? そんなこと最初に考えつくだろ?
頭の中お子様か?」
ハンは一条と二条が的外れな痴話げんかをしている前方で浸かるように入っていた
黒い物体から腕だけを使って体を上方へと跳ね上げた。
空中で伸身宙返りしてそのまま黒い物体の天辺にストンっと降り立つ。
身軽なハンは片足をもう一本の足に絡ませてフラミンゴのように立っている。
(おお、まるで牛若丸を彷彿させる身のこなし。俺の空間の特性も知ってるようだし。その空間は内側からだと流動的でちょっとしたゲル状になっている。反対に一度抜け出てしまえば固形になる)