第252話 禁断の黙示録 ―望具保有者(セイクレッド・キュレーター)―


一条と二条のいい合いも自然と収まりふたりはハンに目を向けた。

 『地上からアンゴルモアを監視していた国際解析部の可視化装置がアンゴルモアのある事実を発見した。研究者たちはその事実を知ってなお物見遊山の国連の態度にやきもきしている最中だ』

 ハンの重要な伝言に一条と二条は耳を澄ませる。

 (だろうな。二流派でどっちがテープカットをするってやってんだから)

 『アンゴルモアの体はジーランディアからの負力を吸い瘴気を吐き出すという循環をしているらしい』 

 (マジかっ!? じゃあ二条の憶測が正しかったってことになるのか。アンゴルモアの負力がすべてジーランディア由来の負力に入れ替わったらヤベーな? 外界に瘴気が流れていくのを防ぐために積乱雲くもの厚みを増やした二条は正解だ)

 「そう。地上したはとっくにその循環速度を計算してるんでしょ?」

 二条はいたって冷静だった。

 (ハンの意思なんだろうけど、やっぱ鳥と会話してるようにしか思えねー。開放能力オープン・アビリティの反バベル作用を使ってなかったらこの鳥はモンゴル語なのか? ってことよりもアンゴルモアの全身の負力が入れ替わる前に早く決着をつけねーと。ただアンゴルモアは見ての通りこの体積だ。そんな短時間で負力が入れ替わるとは思えねーけどな。それに避雷針とやらをいったいいつアンゴルモアに刺すのか?)

 「研究者したはなんて?」

 二条と一条の疑問の発音が重なったけれど、ふたりの問いの意味合いはすこしだけ違う。

 『それがアンゴルモアは現在も進化の途中らしい』

 「どういうことだ?」

 一条がそう訊き返し二条も同じことを訊く寸前で言葉を飲み込んだ。

 その名残で二条の口元も微妙に開いている。 

 『循環を確認したといったが厳密にはアンゴルモアの体の中で現在・・蓄積してる動的負力と静的負力を上下で二分化させているらしい。それはアンゴルモアの意思というわけではなく受精卵が細胞分裂を繰り返していくプログラムようにあらかじめ備わっていた本能だ』

 ハンはアンゴルモアを指差した。

 その指はゆっくと下に下がっていく。

 『つまりアンゴルモアは動的負力を体の下に沈殿させて静的負力を上部に押し上げている』

 ハンの指先はすでに上にある。

 『それはなんのためか? 上部に移動させた静的負力を瘴気として吐き出しそこにジーランディアからの負力を取り込むため。ジーランディアの負力は大部分は動的負力だからな』

 「わ、私の考えが甘かった。アンゴルモアってもっと単細胞生物のようなものだと思ってたのに。自分に不利な状況を打破しようとしてそんな効率よく負力の構成を変えるなんて」

 『水は標高が高くなるにつれて沸点さがり百度以下でも沸騰する。それによって熱湯をつくる時間を短縮できる。このアンゴルモアもそれに似た現象を起こして静的負力を動的負力に変換する時間を早めているそうだ。国際解析部の分析では本格活動していない今のアンゴルモアでは状況の不利や有利の判断はできないらしい。ただただ体が本能で反応しているだけ』

 (それってこのアンゴルモアは全身の負力を入れ替えなくても静的負力の部分だけ入れ替えればいいってことだよな。単純計算で一時間必要なところを半分の三十分で負力の交換が済む。ジーランディアの負力が静的負力だとできない芸当だ。腐っても上級アヤカシ、か)

 「そんな話。はじめてきいた」

 二条は困惑する。

 『知らなくて当然さ。その話はアヤカシの生体学の分野だからな。ABCランクの情報ってくくりでもない。能力者の一般知識からは逸脱した話。それにアンゴルモアがキュビズム型で具現化したときからアヤカシの生体学者なら誰でもこうなることは予想できたらしい。人間ひとは教えられてもいないのに生まれた瞬間から自発呼吸をする。生まれたての赤子あかごに息の吸いかたを教えるなんてないだろう? 専門家にとっては初歩的なことでも俺らにとってはまったくの初耳だったってだけの話さ』

 (まあ、そのための専門家だよな。魔障医学だってそうだし。その大事な話がテープカットのゴタゴタで今の今まで俺たちのところにきてないなんて笑えるな)

 「ハン。もう、あんま時間ねーだろ?」

 一条がそう言葉を返したときだった。

 ハンは片足のままその場に屈み黒い物体の表面に手を押し当てた。

 ハンの手は黒い物体にズブズブと沈み肩まですっぽりと埋まる。

 『俺がここにくる時点で、あと五分か六分だった』

 一条はハンのうしろからその様子をながめている。

 「もう、それだけしか残ってねーのか?」

 (おっ、なんか荷物持参できたのか?)

 ハンは黒い物体の中からたいらで取っ手のついたどこかの西洋のエンブレムのようなシルエットの物を引き上げた。

 さらにそれとは別の硬い便箋を一条に向かって手裏剣のように投げる。

 

 「おっ、なんだ?」

 一条はくわえタバコのままシュルシュルと飛んできたそれを左手の人差し指と中指で挟み煙に沁みた目を細めながら開封した。

 

 「ほ~なるほど。こんだけのパーツに分解するから各国に送れと。了解」

 ハンは無言でうなずき取り出した物体をアンゴルモアに向かってかざした。

 ハンの体はある位置でピタリと止まっている。

 その場所はついさっきまで一条を睨みつけていたアンゴルモアの「眼」の方向だ。

 血眼ちまなこの「眼」がハンの持っている物体と目を合わせた。

 ギョロリとしていた「眼」がそれを凝視するとまるで瞳孔自体が一度驚いたように上下にビクンと揺れた。

 そのままビクビクと痙攣したあとはピンで固定したようにピクリとも動かなくなった。

 白目の中で血走っていた血管がビキビキと音を立て灰色に濁っていく。

 その異変はアンゴルモアの「眼」の周りまで広がっていた。

 まるで濃いグレーのカラーコンタクトをしたように瞳孔が鈍色にびいろ鉛色なまりいろに染まっている。

 

 (……なに!? ア、アンゴルモアの眼が石化をはじめた。なんでだ?) 

 一条はタバコの煙を吐き固唾かたずを飲んでハンを動きを見守っている。

 (……ハンが持ってるのって。あ、あれはもしかしてメデューサの盾か?)

 「ハン、それって忌具じゃないのか?」

 『これはペルセウス剣であるハルパーと一対いっついで使用することで望具ぼうぐになるんだ』

 「へーそんな特殊な望具があったんだ? ってハンが望具保有者セイクレッド・キュレーターなのか?」

 (と訊いたところでたとえ本当にハンが望具保有者セイクレッド・キュレーターでも――はい、そうです。なんていわねーよな?)

 アンゴルモアの体の石化は「眼」を縁取るようにして目元の外側へとさらに進行していく。

 風でめくれていたノートのページもまるで石板のよう固まっている。

 いまだ無事なノートの表紙とはずいぶん落差がある。

 『いや俺は違う。今回の細かな作戦の指示書とともに渡されただけだ。まあ、俺も望具をいくつかは持ってるけど』

 (ああ、そういや、持ってたな)

 『メデューサの盾は預かりもの。よって俺が望具保有者セイクレッド・キュレーターという説は否定される』

 「ねえ、ハン。メデューサの盾ってアンゴルモアの弱い部分から石化していってない?」

 『晴。よく気づいたな』

 「石化の進行速度にムラがあるから」

 (だからアンゴルモアの石になった部分とそうじゃない場所が斑模様まだらもようになってるのか?)

 『バシリスクなら狙った部位をピンポイントで石化できるんだけどな』