第258話 禁断の黙示録 ―シャドウ―


――ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。

 一条は二条を右肩に抱え自分の能力でジーランディアへにひっそりと侵入していた。

 当然ジーランディアのセキュリティは強固だがジーランディアの警備はあくまで一般人が立ち入らないようなシステムにしかなっていない。

 そもそも島の周囲は海流ごと外向きに変えてあるために海上からの進入は不可能だ。

 現在の一条と二条は一般的な不法侵入の状態である。

「不法」とは「法」に反すること、ただし【世界のごみ箱】の中ではその「法」もまた意味をなさない。

 ジーランディアにはジーランディアのみに有効な「法律」もそれを裁く「機関」も存在しないからだ。

 合法的な非合法地帯である人工島ジーランディアへの無断進入は想定外の出来事になる。

 島全体を風景に溶け込ませた島ゆえに上空から発見されないのもその理由のひとつだ。

 はじめからジーランディアに入島できるのは関係者ならびに能力者だけでありそれらの者が入島するならば必ず手続きをした上に入島するからだ。

 もっとも現在の一条と二条はハン・ホユルを経由してのジーランディア上陸の許可待ちの宙ぶらりんの身で完全な不法侵入ともいえない。

 ――ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。

 一条と二条がいるその場所の周囲は高さが不均等な木々が茂っていて奥からは奇妙な音がしている。

 (それにしてもハンは黙って俺の言葉を聞き入れてくれた。こんな格好で本部に戻ったんじゃ二条こいつのプライドが許さないんだよ。ハンもそれを読んでくれていた。あの状況ですぐにそれを察知できるのは一流の能力者だからか? まあ、ハンも砂漠の守り人デザート・ガーディアンでは多数の部下をまとめる立場だし部下の心を読めないと統率も不可能か。ただあの肩に乗った鳥の会話でよくやれてるな。恥ずかしがり屋か?)

 二条はいまだ気絶しているけれどそれでも拳を強く握ったままだった。

 バベルを使った態勢で気を失いどれだけの体力を消耗したのか一目瞭然だった。

 

 (ハンの連絡が間に合ってるのか間にあってないのか微妙なラインだな。けど俺の外務省の職員カードみぶんしょうでなんとかならないか? いや、無理か。でも言い訳ていどには……あとで鷹司おっさんに怒られそうだな)

 「あっ」

 一条は片目をつむって顔をしかめた。

 (そっか、こんなときに救偉人の勲章がありゃ融通ゆうずうが利くのか。あれって海外でも有効なところ結構あるからな)

 一条はあたりに茂っている木々の一本に狙いを定めてその木陰に二条をそっと寝かせた。

 (まだしばらくかかるだろう。起きてから帰り支度すりゃいい)

  ――ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。

 (つーか、さっきからなんの音なんだ? 歯車が回ってるような音? どこで鳴ってんだ?)

 耳をそばだてる一条の前にさっとなにかの影が横切っていった。

 一条の目で捉えたのはその影が必死に振り回している両手の三本の鉤爪かぎづめだ。

 「な、なんだ? アヤカシか?」

 三本の鉤爪かぎづめの者はそのまま木々の中へと逃げ込んでいった。

 (まあ、ジーランディア内部がどうなってかなんて知らねーし。なんせ【世界のごみ箱】だろ。アヤカシごとてるなんてこともあるかもな。ほんとジーランディアここってどんだけ無法地帯なんだよ? ってそれもそうか文字通り無法・・だもんな。それもこれもオリジナル・シン原罪のなせるワザか)

 「ああ。すみません。いっちゃいましたね」

 三本の鉤爪かぎづめの者を追うひとりの人物がいた。

 

 「誰だ?」

 金髪のポニーテールで顔の上半分だけを黒い仮面で覆った黒いマントの男だ。

 仮面がもし上下対称であったなら仮面の中央には紅いアゲハ蝶の模様が浮かび上がるだろう。

 「私はジーランディアの門番をしているツソンと申すものです」

 「門番? ツソン?」

 言葉とは別に一条には思うことがあった。 

 (……こうやって海外の能力者と話してるのが開放能力オープン・アビリティの反バベル作用ってのも皮肉なもんだな。ほんのついさっきだぞ神業バベルが発動したのは)

 能力者同士がおたがいに開放能力オープン・アビリティの反バベル作用を使用していれば即座に反映される。

 またそれによっておたがいが能力者だとわかる。

 ただし能力関係なく他国言語を話す者もいるためにその条件がそのまま適用されるわけではない。

 ツソンは鼠の尻尾が何本もうじゃうじゃと巻きついたような黒いフルートを手にしていた。

 一条がとっさにツソンを能力者だと見抜いたのはそのフルートを持っていたからだ。

 

 (その笛、忌具か? だからって俺がどうこうできるわけじゃねーんだけど。当然レベルファイブなんかの忌具は忌具保管庫に格納される。それもこれも理由としては人間への影響など手に負えない代物だからだ。ただ能力者のなかには忌具からの影響を受けないどころかそれを吸収して扱える能力者がいるんだよな。そういう才能なんだろうな。それがこいつか? まあ、ジーランディアの門番なんてやってるんだからただ者じゃねーよな?)

 「あなたが一条さんでそこで休んでらっしゃるのがお連れの二条さんですね? 国連・・を通じてご連絡をいただいています」

 ツソンは意味ありげに「国連」の語尾を強めた。

 (主導権は表の国連にはないだろ。でもハンの連絡がもうジーランディア内に届いてるのか? さっきの今で俺らはジーランディアにきたんだぞ!? 部外者がジーランディアに入るにはそうとう根回しが必要なはず。これは望具保有者セイクレッド・キュレーターのお力添えってわけか? その仮定が正しいなら望具保有者セイクレッド・キュレーターよっぽどの大物だな)

 ツソンは歌口に唇をつけた。

 (……大物。そうか可能性だけを考えれば『円卓の108人』にいないともかぎらないか。あの円いテーブルにお目つけ役として紛れているのかもしれねー。俺は先入観で108人すべてが私利私欲のためにいると思っていた。けど、ひとりひとりに会ったわけじゃねーし。人格者だっているかもしれねーな。なら、わりと俺ら、いや世界のアヤカシ対策組織にとっては朗報かもな)

 「ああ、俺が外務省の一条でその木の下で寝てるのが文科省の二条。アンゴルモアの討伐作戦の緊急避難でここに寄らせてもらった」

 ツソンはフルートを吹いたあとに歌口から唇をそっと離した。

 「はい。承知しています。ジーランディア内部にも注意喚起はされていましたから」

 「へーそうなんだ」

 (だろうな。『円卓の108人』は安全を確保したうえで高みの見物してるんだろうし。んで、そこでエトワール二流派のすったもんだをやってたんだろ)

 「そのふらふら揺れながらトボトボこっちに向かってきてるアヤカシはなんだ?」

 さきほど木々の中に消えていった三本の鉤爪かぎづめの者がゆっくり引き返してきた。

 ただしその三本の鉤爪かぎづめの者に両足はなく習字のハネのようになっていて地上から十センチほど浮いている。

 「ああ、そいつはシャドウのブラックアウト体です」

 (シャドウ。シャドウシステムか)

 「シャドウってたしか負力を取り込んで戦う能力者の排出先になるアヤカシの総称だよな?」

 「はい。よく、ご存知で」

 (六角市の寄白姫も使者と死者のシステムを使ってるんだよな)

 「同じシステムを使ってる人物に心当たりがあったからな。本体の能力者はどこにいるんだ?」

 「ジーランディアここにはいませんよ」

 「そうなのか」

 「ええ。すこしわけアリでして。本体はヴァニッシュ公国の公女こうじょなんです。なんでも術者の負担がすごいとか」

 「なら、深くは訊かねーよ」

 

 (公国っていえば他には大公国ルクセンブルク、それにモナコ、リヒテンシュタイン、アンドラか)

 シャドウはある場所を起点に突然ツソンの前に引き摺られるようにして向かってきた。

 そのまま雑巾を絞りねじ切るように――バシュ。っと千切れとんだ。

 (……こいつがやったのか? ジーランディアのアヤカシの退治判定もこいつしだいか……どころか生殺与奪の権利も、か?)

 「いや、とんだ失態でした。私のささやきでシャドウが疑心暗鬼になってブラックアウトしてしまったんです」

 「俺は部外者なんで失態かどうかは判断できないけどな……」

 いっときの静寂が訪れ、またさっきの音が響いてきた。

 ――ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。

 「さっきから気になってたんだけどこの妙な音はなんだ?」

 「気になりますか?」

 「ああ」

 「では、こちらにどうぞ。そう遠くはないのでお連れのかたはそのままで大丈夫ですよ」

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