ツソンは大きなひとつ岩に腰をかけ足を組んでいる。
客人の一条をもてなすにしてはまるで敬意はない、かといって蔑んでいるような素振りもない。
一条自身もツソンのその態度に不快感を示すことはなかった。
なぜだがウマが合うそんな雰囲気が漂っている。
「なあ、あんたも吸うかい?」
一条はまだビニールに包まれたままのソフトパックの底を指で弾くと一本のタバコがミーアキャットのように顔をのぞかせた。
「いえ、私はけっこうです。お吸いになりたければどうぞ」
ツソンはフルートの掲げやんわりと断った。
「いや、勧めておいてなんだけど。俺もやめておく」
(二条にバレたらなにいわれるかわかんねーし)
「私のことはお気になさらずに」
「ほんとにいいんだ」
一条はそのままソフトパックの端をクシャっと握ってポケットにしまいハン・ホユルの機械ギミックのような物体の近くに歩み寄っていった。
――ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。ギギギギ。カラカラ。
「これは?」
一条は音の発信源であるその異様な物体を展示品のようにながめている。
やけに奥行きの長い透明な太陽のオブジェの中でいくつもの歯車が回っていた。
「知りませんでしたか?」
「ああ、なんなんだこれは?」
「終末時計ですよ」
「終末時計だと?」
「はい。世界の終焉を刻む時計ですね。いわば世界の死を示す死針です」
「だ、誰が創ったんだ?」
「創ったわけじゃないんですよ」
「じゃあ、どうやって」
「自然に出現したんですよ」
「自然に? だ、と?」
「はい」
(なら、これは忌具に近いのか?)
「いつだ?」
一条は矢継ぎ早に質問をしていった。
「だいたい産業革命の末期あたりだと聞いています」
(伝聞だけなのか? それともこいつはその時代からいたミッシングリンカーなのか? まあ、ミッシングリンカーが俺たちだけだと思うのも早計だな。だとしても前タームでも見かけたことはない。ただ毎回毎回人類がまったく同じ道を辿ってるってわけでもねーし。でも主要経路は同じなんだよな。戦争のきっかけだとか核を使うタイミングだとか。破滅への分岐点は大概そんなところだ)
「そんな前から?」
一条はそう答えたが産業革命の時期に世界で起こっていた時代背景を考えたならそんなに驚くことでもないという結論に至った。
「ええ」
「今の時間を確認してもいいか?」
「はい、どうぞ」
一条は終末時計の真正面へいっぽいっぽ歩みを進める。
一条の目に現在の終末時計の時刻が飛び込んできた。
「11時56分40秒……」
回り込んで見たままの時間だ。
「ええ。あの、ちょっとよろしいですか?」
岩の上のツソンが人差し指を一本立てて遮った。
仮面の下の口元が緩む。
「ああ、なんだ?」
「アンゴルモアが出現してから終末時計の死針が進んだんですよ」
「それはアンゴルモアが人類の脅威だったからだろ? 当然の結果だ」
「それはおかしいですね?」
「どうして?」
「だってあななたちがアンゴルモアを退治して」
ツソンは意味ありげに間をおいた。
「終末時計の針が戻ったんですよ」
含みのあるいいかただった。
「ならいいじゃねーか? それは世界の危機が回避されたってことだろ?」
「でもすぐにアンゴルモアが出現する前よりも針が進んだんです。今その終末時計が示している時間11時56分40秒がそれです」
「なっ!?」
「アンゴルモアの出現時の終末時計の時刻は11時55分58秒。そしてアンゴルモア討伐後が現在の時刻である11時56分40秒です。不思議ですね~42秒の進んでしまいました」
ツソンは意味深に首をかしげた。
鼻よりしたの仮面の口元は微笑んでいるように見える。
(これって俺の考えが証明されちまったってことじゃねーか? やっぱりアンゴルモアは分散させずに一ヶ所で叩いておくべきだった)
「私はシャドウの事後処理もありますので、これで失礼いたします。以後お見りしおきを。二条さんにもよろしくお伝えください」
ツソンはまるでブランコからでも飛び降りるようにひとつ岩からヒョイっと飛んで着地した。
(アンゴルモアを分散することでさらに人類を脅威にさらしちまったってことだよな)
「では」
「ああ」
(でも、食えねー男だな)
一条は終末時計の時刻をふたたび見た。
そこで初めて世界の縮図を意識る。
(時計のくせに世界の空気を汲みとるなんて。やるじゃねーか。まさかアンゴルモア討伐作戦の正否を教えてくれるなんて)
一条は去りゆくツソンの背に焦点を合わせた。
(ぜんぜん実態が掴めねーな? ツソンもジーランディア)
一条からすこし離れた場所で小さなバイブレーションのような羽音がしていた。
ツソンは瞬時になにかを払いのけるようにして己の顔の前でパチンと手を合わせる。
(虫? 蚊か?)
ツソンが合わせた右手の人差し指と中指のあいだから無惨に千切れたトンボような透明な羽がはみ出ている。
ややあってツソンの足元には小さな緑色のトンガリ帽子が落ちてきた。
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一条は終末時計によってアンゴルモア討伐の本質的な意味での答えを突きつけられた。
研究者や識者が今後、今回のアンゴルモア討伐作戦の資料をもとに弾き出す数字よりもあの時間が正しいということを身をもって知った。
一条はいま目覚めた二条とともにジーランディアの浜辺にいる。
ふたりは波打ちぎわで空の果てに明滅を見ていた。
「そりゃあきてるよな?」
一条は我慢していた紫煙をこれでもかと燻らせている。
煙は得たいの知れないジーランディアの中へと消えていった。
「歴史的にけっこう大きな出来事だったからね」
「まあ、でも終わったことだ。今日が過去になって初めてそれが正しかったのか間違っていたのかがわかる」
「なにいってんの? 間違いだったのよ。あんたもわかってるでしょ?」
「歪んだ結論でも世界の指揮官たちが出した答えだ」
「歴史のなかで何度もあったことね。主の命によって部下が動く」
一条は大きくタバコを吸いながら亜空間を開いた。
開かれた先には一条と二条を迎える小型船舶が停泊していた。
まず二条が先に船体に足をかけ、一条もそれにつづく。
一条はジーランディアを振り返ることもなく亜空間を閉じた。
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