俺は今ひとり校長室の更衣室に潜んでいる。
寄白さんが四階の変化を探ったけど、ラッキーなことに今日は異変なしだった。
天が味方したってわけじゃなく昼休みに寄白さんが――たぶん、大丈夫。っていっていたからだ。
それはどういうことかというと。
日常で溜まる負力は昨日のモナリザのブラックアウトで消費してしまっているという判断だ。
俺はそれをきいてなるほどと思った。
だから寄白さんは昼休みに明確な理由があってあんなことをいったんだ。
もっとも朝見たとおり美術室のドアや社さんの厭勝銭は散乱したままだけど。
校長は寄白さんがいまだイヤリングの中に藁を入れている手前、解析部の調査を入れずに四階の修理の依頼だけをしたといっていた。
独り言をいうくらいだったけど校長の決めたことだからそれでいいと思う。
俺は自分のスマホの時計を見た。
ああ、心臓がバクバクする。
もうそろそろか~校長の作った封筒の誘いに乗った人物がもうすぐ校長室にやってくる。
といってもその相手をするのは校長なんだけど。
俺はそれを見守る立場だ。
まあ、俺が校長と一緒にいてもただの生徒で株のことはぜんぜんわからないし。
校長に情報を伝えた昨日の今日でこんなに早く物事が進んでいくとは。
ほんとになにかが進行するときはすごい速度で進んでいくな。
――コンコン。
う、うぉ!?
校長室がノ、ノックされた。
き、き、きたー!!
「はい。どうぞ」
校長が返事を返す。
――がちゃ。
ド、ドアが開いた。
「失礼します」
ほんとに、き、きた。
ハイトーンボイスが校長室にきこえてきた。
俺は校長室と更衣室のドアの隙間にさらに近づいていって息を殺し校長室の様子をながめる。
な、なんか特殊任務でもしてるみたいだ。
「鈴木先生。どうぞかけてください」
「あっ、はい。すみません」
鈴木先生が一枚の封筒を手に校長室に入ってきた。
俺は鈴木先生の一時間目のときような歴史雑学が好きなんだけどな。
まあでも鈴木先生が蛇の本体ってことはないよな? 最近、金遣いが荒くなった人でたまたま一致しただけだから。
「鈴木先生。封筒の中の紙の話を訊きにきたってことでよろしいんですよね?」
「はい。そうです」
鈴木先生が手に持っていたのは校長が極道入稿した株式会社ヨリシロのロゴと【株式会社ヨリシロ 株主優待セミナー 効率よく現金化する10の心得】の文字の入った封筒だ。
デザインがすげープロっぽい? っていってもセミオーダーだからな。
鈴木先生はソファーに座り封筒の中から三つ折りになった紙をだした。
「わかりました」
「あの寄白校長。私は本当に株の知識がないのでこの効率よく現金化って言葉に惹かれたんですけど」
「ああ、そのキャッチコピーですか?」
「はい。そもそも私は株をどうやって現金に換えばいいのかわからないんですよ。どうすればいいんでしょうか?」
「えっ?」
「いや~お恥ずかしながら前に一度【駅前通り】の『モグラ泣かせ』というリサイクルショップに株券を持っていったことがあるんですけど。ああ『モグラ泣かせ』っていうのはリサイクルショップなんですけど金券も取り扱ってるっていうんもんでね」
「は、はい、それで」
「『モグラ泣かせ』ではヨリシログループの株主優待の商品券なら買い取りはできるっていうんですけど株券は買い取りできないって断れちゃいまして。ああ、こんなことなら佐伯校長にきいておけばよかったな~」
「佐伯校長?」
「はい、私六角第一高校に赴任する前は六角第六高校にいたんですよ」
「そうだったんですか?」
「はい。佐伯校長はそういうのに詳しくてね。他の先生たちにも声をかけていたくらいですし」
「なるほど。佐伯校長株式会社ヨリシロの株価も気にしてましたからね。株にお詳しいんだと思います」
「でしょうね。私が六角第六高校にいたときから財テクに熱心でしたんで。公務員は副業禁止ですけれど株式投資はできますから」
「そうですね。佐伯校長はそのころから金融系の話にお詳しかったんですね?」
「そうみたいですね。でも、もっと前からやってたんじゃないすかね?」
「へー。あのところで鈴木先生。大変失礼なことをお訊きしてしまうんですけれど。そこまで急いで株を現金化したい理由があるんでしょうか?」
「えっ、いや、ちょっと大きな額を使ってしまいましてね」
「借金とかですか?」
「借金というか分割ですけど?」
「分割?」
「はい。新車を買ったんですけど頭金がなかなかの額でして」
「ああ車を……。でも、たしか三百万円くらいの車だとききましたけど?」
「寄白校長どうしてそれを?」
「たまたま生徒さんに車に詳しい男子がいましたので」
「そうですか。まあ私は毎日通勤で乗ってきていますからね」
「ええ詳しい男子は本当に車に詳しいですからね? なんでも鈴木先生が車のキーを肌身離さずに持ってるともいってましたね」
「いや~お恥ずかしい。授業中でもついついキーをポケットに忍ばせてしまっています」
「大事になさってるんですね?」
「私ね。最初に買った車が中古車だったんですよ」
「そういうかたも多いんじゃないですか?」
「まあ、そうでしょうかね。それをかれこれ十年以上乗りましたからね」
「大事に乗ってらしたんですね?」
「中古の車でもそれなりに愛着はありましたから。そして三十代の半ばお金もなんとかなりそうでずっと欲しかった車を新車で買おうと思ったんですよ」
「良かったですね」
「ところがですよ。うちの家内に子どもの送り迎えや買い物をしやすいような車種をせがまれ泣く泣くそっちを買ったんですよ」
「そのときはご家族のために我慢なさったわけですね?」
「はい。でも、今はもう子どもも中学生にあがってしまって親と出かけることも嫌がるようになりましてね。それで家内からようやく本当に欲しい車を買ってもいいという許可がでて本当に欲しかったSUVを買ったんですよ」
「なるほど。そういう経緯から鈴木先生がお持ちの株を現金化したいということなんですね?」
「はい。そうです。株ならあるていどまとまったお金に換金できるとききましたので」
「そうでしたか」
「はい」
「鈴木先生。まずは株券を現金化するには大きくわけてふたつあります。ネットの証券口座を開設するかじっさいの証券会社の店舗に出向くかです。現在株券のすべては電子化されていますのでネットでの手続きのほうが簡単ですけれど、ただ鈴木先生は株券をお持ちですので証券会社にいって換金手続きをすることになりますね。株式会社ヨリシロの系列の証券会社が【駅前通り】にありますから、もしよろしければ私のほうから証券会社に連絡を入れておきますけれどいかがでしょうか?」
「えっ!? ほ、ほんとですか? ぜ、ぜひ、お願いします。自分ひとりで急に証券会社を訪ねていくより寄白校長の、いや寄白社長の仲介があるほうが安心ですので」
「わかりました。きっと鈴木先生の悩みに相談にのってくれるはずです」
「ありがとうございます」
「株っていっても売り時がありますから。安く売るよりは高く売れるほうがいいですよね?」
「は、はい、それはもちろんです」
※
俺は鈴木先生が校長室から去ったあとすこし時間をおいて更衣室から校長室に移動した。
「校長どうでした?」
「うん。まったくもって一般的な幸せな家庭って感じよね」
「あんな三百万円以上もするSUVを買ってもですか?」
「沙田くん。そこなんだけど鈴木先生、今は四十代の半ばで人生で買った車が今回の新車で三台なんですって。短期間で三百万円もする車を何台も何台も乗り換えていたならそれは問題だけど、今回は奮発して本当に欲しい車を買ったってだけね」
「そうですか。なんかなんの役にもたたない情報ですみません」
「ううん。いいの。そもそも私が最近お金の使いかたが荒くなった人知らないかって訊いたんだから。まあ、こんなこともあるわよ。それにひとつ疑問を潰せてスッキリしたし。沙田くんが謝る必要はないわ」
「はい」
「これで株主総会に向けての準備を頑張れるわ。鈴木先生のようなホルダーのためにも頑張って会社の業績を上げないと」
校長は「社長」になっていた。
けどそんないくつも役職を掛け持ち大丈夫なのか?ってまた心配になるな。
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