第299話 六畳間(ろくじょうま)の棺(ひつぎ) モノローグ ―川相憐(かわいれん)― 


突然、台風で仕事が休みになった。

 予期していなかったちょっとした休日に、表面張力で耐えていた私の我慢が溢れだした。

 きっかけはそんな些細なことだ。

 私はその日を境に家から出られなくなった。

 外はいまだに強い風と土砂降りの雨で、私は十三年のあいだ、この六畳のへやに閉じこもったままだ。

 世の中の接点のなにもかを放りだした。

 放りだしたすべてを親が拾い肩代わりしている。

 棺のなかで暮らすこと六年目のとき、母親は自分の育てかたが悪かったと自分を責めて家をでていった。

 

 子どもの育てかたに悩んでいる親は世の中に相当いるだろう。

 こんなダメな私がいっても無意味かもしれない。

 でも思うことがある。

 親の育てかたが影響するなんて、せいぜい小学生まで。

 育てかたが問題なんじゃなくて、環境の問題だ。 

 現に私が動くことをやめたのは二十二歳。

 親が「育てる」義務はとっくに終えていた。

 それでも社会から脱落した私を、どうしていいのかわからなかったんだろう。

 

 ゆいいつ救いだったのは私には比較される兄弟姉妹きょうだいがいなかったこと。

 社会に適応できない者が家族の誰かを殺すこと、私には痛いほどわかる。

 自分だって抜け出したいって思ってるのに、どうすることもできない苦しさ。

 そんなの刃物を持つしかないじゃない。

 直接的な言葉、無言の視線ことばが、自分の棲息範囲を奪っていくことを知っている。

 

 私になんの価値があるのか? 父はなぜ私を守るのか? きっとそれは血縁故の庇護欲なんだろう。

 私がこの棺からでたときの蓄え。

 世の中と接点はないのに光回線かべを隔て間接的に外と繋がっている矛盾。

 私はどこで間違えたんだろう。

 私が生まれたときに両親はどんな将来を想ったんだろう。

 どんな理想を重ねたんだろう。

 母はきっと私にふつうを求めていたはずだ。

 その「ふつう」は父や母が通ってきた、いわゆる「一億総中流いちおくそうちゅうりゅう」のこと。

 そんな価値観は、とっくの前に露と消えていた。

 母はその幻想をずっと抱いていた、私はそのすべてを、母の人生を白紙にしてしまった。

 

 過去なんて壊したい対象でしかない。

 過去の経歴をすべてを消したくて……でも消せなくて、まず 私の映る写真を破り捨てた。

 私の存在が許せないから、私が写っている画像は残らずに消した。

 

 私の遺影になるのはきっと同級生の誰から提供される「時」を閉じ込めたままの卒業アルバムの一片だろう。

 それもなにかの行事の片隅にいながらも、まだ将来を期待していたころの。

 服を着るよりも、作る側になりたくて服飾の専門学校にいった。

 正確には親にいかせてもらった。

 期待は気体のままで雲散霧消した。

 世の中のせいっていえば、簡単に言い訳を肯定できた。

 私に作る才能なんかなくて、誰かが作ったものを販売する側にしかいけなかった。

 期待を裏切ってしまった。

 着たくもない服を八掛けで買い、着たくもない服を着ながら、着たくもない服を「似合う」といって客に勧める。

 この店のすべての服が自分のデザインした服ならどんなにいいだろう。

 お客さんが喜んで買うのは誰かが作った服だ。

 偽物の私はこうすることでしか生活の糧を得ることはできなかった。

 なんにもなれずに焦燥だけを抱え、私の心は日に日にすり減っていった。

 着たい服も着れず、着たくもない服を着る、そのルーティンから抜け出したかったのかもしれない。

 ショッピングにいっても、まずはタグを確認してしまう。

 どんな素材を使っているのか、縫製を見て出来の良さを調べる。

 

 そしてあの台風の日、「雨」と「風」が私に人生の休日をくれた。

 あまりに永くて、あまりに孤独な休み。

 無職の延長線上に私はずっといる。

 時計の針は、私の監視員みたいで、罰として酔生夢死すいせいむしの判決をだされたようだった。

 自分の家にいるのに、この地球のどこにも居場所がない。

 ああ、パジャマで過ごすのは楽でいい。

 翌日どんな服を着ようか考えられるから。

 いつか、いつか、ここからでられたら……。

 着たかった服を着たのはいつだろう。

 もう、衣服なんてどうでもよくなっていた。

 社会と繋がってこそのファッションだったんだと気づくのにあまり時間がかかった。

 自分が選らんだ服を着るというのは、それはつまり誰かに見てほしいという欲求。

 「明日なに着ていこう」は、屋内と屋外の場面転換によって成立する表裏一体のものだ。

 「いつか」を「開放」の代名詞にして問題を先延ばしにした。

 希望の効果が薄れるたびに、麻薬のように「いつか」をたしていく。

 「明日」こそ、「明日」こそ、「いつか」を継ぎ足し一年が過ぎた。

 「いつか」「明日」「いつか」「明日」「いつか」「明日」。

  希望を増量しつづけ「いつか」が来ないまま、十三年目。

 

 あっという間に時間は流れていった。

 本当に一瞬でこの年齢になってしまったみたいだ。

 そのあいだに大きな事件も、大きな災害も、歴史的な出来事もたくさんあったのに一瞬でそれを飛び越えてきた。

 「いつか」なんて言葉は、来ないこと・・・・・を知っている人が、その日を先延ばしにするための言い訳だと知っている。

 

 私はもうここから出られない。

 すでに六畳間ひつぎの中なんだから、ここで死んでもかまわない。

 自分だって抜け出したいって思ってるのに、どうすることもできない苦しさ。

 それなら刃物を持つしかない。

 私に兄弟姉妹きょうだいはいないから、比較するのは過去の自分だ。

 沈んだ気分をブルーと表現するなら蒼い血が流れていたっていいのに、飽きるほどに同じ色だ。

 退屈なほどに同じ赤だ。

 死にたいわけじゃない、ただ生きていたくないだけ。 

 手首を切る瞬間の痛みだけが「生」を実感させる。

 鬱屈うっくつを抱えたまま鏡を見る。

 目が死んでいる。 

 死んだものは生き返えらない、だから、このに光が宿ることはない。

 いつつけたかわからないただれたような手首の傷跡を押すと、濃いクリーム色の膿と血と透明な滲出液たいえきがハミガキ粉のチューブのようにゆっくりと吹き出てくる。

 心臓の鼓動に合わせて手首にじゅくじゅくとした鈍痛が走る。

 ズキ、そのあとに八分休符、そしてまたズキっと痛みが走る。

 規則正しい痛みが駆け巡っていく。

 私はその「痛み」よりもこの「規則性」に憤りを覚える。

 

 この傷跡でさえ規則のなかにいるのに、私は不規則な中にいる。

 手首を強く強く握り締める。

 痛みが足りない……痛覚でしか生きてることが理解できない。

 だからもっと痛みがほしい。

 運命が劇的に世界を変える。

 そんなことはない、と、思っていた。

 私の世界は別の意味で真逆に転換した。

 まさかお父さんが私より先に死ぬとは思わなかった。

 いや、人の世では子は親より先に死ぬものだ。

 それが自然の摂理で、正しい死の順番だったはず。

 お父さんは六角駅のロータリーの前のビルから飛び降りた。

 私のせいだと瞬間的に思った。

 私が欲しかったのは体の痛みで、心の痛みじゃない。

 死の直前に撒いていたという会社への不満が原因だろう、とドアを隔てた別世界の警察がいっていた。

 とくに事件性もなくその会社へ踏み込んだ捜査はおこなわれなかった。

 

 お父さんが飛び降りるすこし前にひどく気にしていた出来事がある。

 それは同じ会社の若い男の子が電車に飛び込んだことだ。

 その若い社員も会社のことで相当悩んでいたらしかった。

 形は違えど、そのにも、やりたいことがあったんじゃなのかな?

 誰しも希望の職に就けるわけじゃない、やりがい、と、収入を天秤にかけて夢を諦める。

 でも私は、この世界から解放されたそのをすこし羨ましくも思った。

 この苦しみに終りがないのなら、この目を閉ざしてしまいたかったから。

 この苦しみに終りがあるのなら 、果てに辿り着きたかったから。

 でも、結局、私には死ぬ勇気なんてない。

 ”私は死にたいわけじゃない、ただ生きていたくないだけ”

 「死の真似事」で「生」を維持してきた、服を裁つ、裁ちばさみじゃ、命は絶てない。

 でも、お父さんがあっち・・・にいるのなら、と、多少、恐怖は薄れていく。

 音信不通の母ともそろそろ連絡をとりたい。

 それからしばくして、私の部屋に見知らぬ絵画が飾ってあった。

 真っ黒な和彫りの額縁のなかにある黒い手形。

 夜さえも塗りつぶせそうな真黒な絵画から手が伸びてきて、この部屋ひつぎのふたを開いた。

 外の世界が私を呼んでいる。

 私は机の引き出しを開けてナイフきぼうを手に十三年のときを超える。

 希死念慮きぼうを叶えるために。

 私がこの部屋ひつぎのなかにいた六年目、母は自分の育てかたが悪かったと自分を責め、このナイフで頸動脈を切り遺体となって家をでていった。

 私が両親ふたりを殺した。

 このどうしょうもない人生に決着をつけなきゃいけない。

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