どこにでもあるような額に入った横長の「温故知新」が戸村を見下ろしている。
署長はうしろで手を組み窓辺から六波羅の背中を寡黙に見送った。
「伊万里くん。で?」
署長が向き直した瞬間に「戸村伊万里」は右手を部屋の中心に向けて広げた。
あたりの景色が歪むとふたりは透明な球体に包まれた場所に移動していた。
「誰に話を聞かれるかわかりませんので場所を変えさせていただきました」
「かまわんよ。六波羅はどうだった?」
署長はいいながら左右に目を振ると、移動した場所にすこし驚いている。
「多少言葉は荒いですけどこの時代にめずらしく裏表がない人ですね。そこが逆に信用に値します。若い女性警察官は想像で物事を考えてしまうことも多いですが与えらた選択肢からさまざまな筋読みができます。それに弱者の気持ちに寄り添える人でした。ふたりとも警察にとっての必須条件である正義があります」
「えらい褒めようだね」
「お世辞じゃありません。彼女は若いですし都市伝説にも詳しいので有事のときの適応は早いと思います。六波羅班長は非日常で現場保存に動けるのは警察だといっていました」
「ただアヤカシを前にしてそれができるのやら。六角中央警察で能力者とアヤカシの存在を認識してるのは私と副署長のみ。市内であれば寄白家と関連会社、九久津家、真野家、それに六角神社や教育委員会。一般人にも少なからず存在している、が」
「承知しています」
「私も最初は驚いたよ。伊万里くんのような能力者の存在とアヤカシの存在。それが世界各国にあるなんてね。どの国もアヤカシの存在と政府の運営に神経をすり減らしている。国家予算をアヤカシ対策に充てるにも国民の支持は得られないだろうから。アヤカシはいてもらっちゃ困る存在だ」
「そのとおりです」
「有事のさい初動の対応にあたるのが警察や消防、そして自衛隊だ。それが公僕」
署長は伊万里の目をじっと見る。
「単刀直入に訊く、六波羅たちは動けそうか?」
「現場の状況から自ずと退避指示をだせる、体が勝手に動くタイプだと思います」
「あいつはそういう昭和の現場主義の猪突猛進の刑事。ただどこに市民を避難誘導させるのかという問題はずっと棚上げのまま。ことアヤカシに関しては各自治体でハザードマップを作成し公表というわけにもいかんしな」
「六角市は他の都市よりも結界システムが強いですし。ソーラーパネル。すなわち太陽の蓄積が多いのでアヤカシの出現抑制にはなるはずです」
「私がゴルフにいっていたときに、この六角市が危機に瀕していたなんて夢にも思わなかったよ。あの地鳴りが九久津家の能力者と上級アヤカシの戦闘だったとは」
「バシリスクの日本上陸は当初、あの日の三日後の夕方でした。バシリスクの急襲はまったくの想定外のできごとで現在も専門部署が鋭意捜査中。なかには六角市に手招きした者がいるのではないかという噂もあり情報は錯綜しているようです」
「アヤカシの悪事はさすがに警察じゃ手に負えん。餅は餅屋」
「そうですね。六波羅班長たちは黒杉工業のことを気にかけていましたが署長のご意見は?」
「ああ、あれは心底悪い男だよ。パワハラからソロバンを弾くことまでやってるだろう。ただ、やつは小者。直接人殺しはできん。人を刺せる人間ってのは底知れぬ闇と憎悪を抱えた者だ。あやつは刃物を持ったって手が震えて刺せんだろうよ。だが余罪は多いな。長年の警察官としての勘だけなら川相総の自殺との因果関係もきっとある。まあ勘だけの逮捕は民主主義と法治国家が許さないだろうから。そっちは証拠を集めて警察としてきっちりやるよ。そのために黒杉さんと仲良くしてるだから」
「六波羅班長のいったとおりでした」
「というのは?」
「いや、署長ならそうするだろうとおっしゃっていました」
「あいつ」
「黒杉を検挙する突破口はあるんですか?」
「帳簿のたぐいから攻めていけば綻びが見えるてくるだろう」
「それも六波羅班長たちがいっていました」
「あいつも私と同じ見立てか。黒杉はどうもそのあたりがだらしない。上様と本名を混同させている」
「上様の領収書。六波羅班長たちはB勘を疑っていました」
「ありえる話だが、それじゃあ弱い。まずは裁判所から捜索令状がおりるだけの決定的な証拠がほしい」
「書類一式を押収したいってことですね?」
「ああ、だからつぎの一手。現役の社員であれば生活がかかっているから不都合があっても簡単に口は割らない。だとすればすでに定年している者や、最近退社した者、あるいは解雇された者。自己都合で退社してどこかに再就職でもしていれば厄介ごとに首はつっこみたくないのが自明。よって解雇された社員を当たるのがベスト。腹に一物でも抱えていれば恨み言のひとつやふたつはあるだろう。膨らんだ腹を警察手帳で強めに叩いてやれば簡単に吐く」
「理路整然とした推理です。黒杉工業のことは意外に早く進展しそうですね」
「いや、まだ時間はかかる。送致後、起訴され裁判になれば当然、弁護側はあの手この手で情状酌量を求めてくる。そこで大事なのは世論。まあ今回の場合は六角市の市民」
「どういうことですか?」
「黒杉工業は六角市のあらゆる媒体に広告を出稿している。となればメディア側も得意客のスキャンダルで自社の利益を減らしたくない」
「なるほど。逮捕送検されてもメディアが黙殺する可能性があると。ほとぼりが冷めれば黒杉工業はまた六角市での栄華を取り戻す」
「ああ、あやつは逮捕されたあとに糾弾が必要だ。ゴルフ場には六角市では名の知れた地元テレビ局、地元ラジオ局、新聞社、広告代理店やWeb制作会社の幹部クラスがいた。いっせに風向きを変えることができる連中だ」
「中核市で起こりがちなことですね? 警察署の署長もを抱き込んでおこうってことですね」
「ああ。やってることは戦国乱世の武将と変わらんよ」
「あの、すこし疑問に思ったのですが」
「なんだい?」
「話にきくかぎり黒杉工業の代表取締役の黒杉にそこまで利口な印象がなかったのですが、メディア操作などのやりかたを考えると意外に頭がキレるのではないでしょうか?」
「伊万里くん」
署長は口角を上げた。