九久津は国立六角病院のロビーのソファーにひとりで座っていた。
「こんばんは」
静寂を裂いたのは九久津の耳に届く足音と九久津の脳裏に響く声だ。
「夜勤ですか? 朝からずっと働きづめですね?」
九久津の唇は動いていない。
「ええ。九久津さん、ひとつあなたに情報を、と思いまして」
「だから虫の報せで俺に声をかけてきたと?」
「はい。国立六角病院の院内施設ですけど念には念を。虫の報せは双方向の通信能力。私からのコンタクトを受信してくれたということは私への猜疑心は晴れたということでしょうか?」
「まあ。でもこれではっきりした。戸村が能力者であるということが」
「隠していてすみません」
「身のこなしからしてだいたいわかりますよ。それでなんですか?」
「あなたのことを尾行けていた人物がわかりました」
「はっ?」
(俺を尾行してたやつは俺らに力を貸してくれそうなこの人と俺らの戦力を分断しようとしたかもしれないっていう俺の考えは間違いか?)
「私に訊きましたよね? なぜ俺を尾行けたのか?って」
「たしかに訊きましたけど」
「それで電話で訊いてみたんですよ」
「誰にですか?」
「私の一卵性双生児です。私には伊万里という双子の姉がいるんです」
「姉?」
(俺の病室でいってたな。地震で姉を亡くしたわけじゃなかったのか。なら俺と兄さんを重ねたわけじゃない)
「はい。するとどうしてそれを知ってるのかと訊き返されました。それはつまり九久津さんを尾行していた証左です」
「じゃあ、あの尾行は」
(臭鬼が感じたニオイは双子という同一細胞由来のもの。どうりで臭鬼が同一判定するわけだ。……今、俺の目の前のにいるこの戸村伊織は白だった。事情はどうであれ完全な俺の言いがかり。診殺室のことも今、外務省がジーランディアに視察にいってることを知ってるのもなにからなにまで俺より一枚上手。今は知識を与えてもらう側でいよう)
「はい。間違いなく伊万里のしわざです」
「でもなんで俺を?」
「偶然、いや、必然ですね」
「どういうことですか?」
「伊万里はある仕事で六角市にきていて偶然九久津さんを見つけたそうです。そしてあまりの能力の高さに、ついつい追ってしまったということです。いいえ、違いますね。試してみたくなったってこと。それが必然の理由です」
「試す?」
(結局のところこの人の姉も能力者だろう。仕事で六角市にきているとすれば、当局かそれに準ずる立場。姉妹で能力者か。俺と兄さんもそうだった。繰さんと美子ちゃんも。この人がまず最初に繰さんに接近したのもそこかもしれない。試されてる時点で俺もまだまだってことだな)
「ええ、九久津さんが信じようが信じまいが伊万里談ですけど」
「わかりました」
「素直ですね。隣、座ってもいいですか?」
「どうぞ。俺はあなたのことを信じることにしましたから」
「その決断に至った理由はなんですか?」
「俺のなかであなたの話の情報の整合性がとれてることがひとつ。ふたつめは境遇の話をしてくれた。みっつめは座右の銘が鬼手仏心という言葉。あのあとすぐに鬼手仏心の意味を調べてみましたよ。――外科医は手術のときに残酷なほど大胆にメスを入れるが、それはなんとしても患者を救いたいという温かで純粋な心からであるという意味だった。最後は不条理を許せないところ」
「そういっていただけるならありがとうございます。これ繰さんにすこしだけ話したんですけど。私と姉の伊万里は大地震で両親を亡くしてるんです」