しーんと静まり返った山のなかで妖精の羽音だけが響いている。
矢を放ったクロスボウはフード付きの黒いローブの者のブラックホールに吸い込まれていった。
「レッドリスト。絶滅が危惧されるアヤカシの種族。その危惧は唐傘お化けの族滅で現実になった。一つ目属は”一つ目小僧””一つ目入道””豆腐小僧”なんかがいたな。それをさらに分類するとなると多手種類と双手種類と無手種類か。これはこれで収穫だ」
妖精の羽音を割くように木々の奥がガサゴソと揺れた。
葉がこすれる葉音が断続的につづいている。
――ザッ、ザッっとさらに大きく木々が揺れた。
草のなかからフード付きの黒いローブの者をじっと見ているふたつの目がある。
「きみらはどうだ? 人間は必要か? 最近、牙のない象が増えたそうだ。賢い判断だ。象牙を奪われなくてすむから。盗られたくないならはじめから宝石んなんて持たなければいい。それは退化じゃなくきっと進化だ。細胞単位でできる危機回避の防衛手段。でも人間は懲りない。牙がないとなるとつぎはカバの歯を狙う。タテガミを捨てたライオン。生息地を奪われた者同士のハイブリット種の誕生。大規模生態系破壊は止まらないな」
フード付きの黒いローブの者は草に向かって語りかけた。
雑木林からソノソノと顔をのぞかせたのは小さな熊だった。
その小さな熊よりもひと回りもふた回りも大きな熊がそのうしろから草を押し倒してやってきた。
二頭の親子の熊はフード付きの黒いローブの者のローブの中の渦を見て――グルルゥ。と喉を鳴らした。
動物の本能がフード付きの黒いローブの者を警戒している。
「俺が唐傘お化けを絶滅させたのはクリティカルパスの主要経路の作成の一部として必要だったからだ。唐傘お化けの族滅だけじゃ主要にはほど遠い。燕雀鴻鵠」
親熊は子熊を庇うように態勢を入れ替えると子熊は親熊に体を寄せた。
「おまえらだって年々、住処を追われてるんだろ? 眠る場所を奪われ食べ物を奪われ気候を奪われた。唐傘お化けがいなくなって保護区域が広くなったんだ、当局が気づくまで自由に使えばいい」
フード付きの黒いローブの者はそのまま前方に向かって歩きはじめた。
熊の親子は微動だにしない。
いまだじっとフード付きの黒いローブの者を見つめている。
親熊が歯をのぞかせた。
――チッ。
刹那、熊の親子はタイヤがパンクしたように重く鈍い音を立てて――ぼんっと破裂した。
二頭の熊の臓物がそこらじゅうに飛び散っていた。
やや遅れて――どん。と熊の腕が降ってきた。
「邪魔だろ? 俺がそこ通るんだから。レッドリストでもないたかが二頭の熊の生き死になんてどうだっていいんだよ。素直にそこを避けてたら死ななくてすんだのにな?」
フード付きの黒いローブの者は足元にある熊の手をまるでボールでも蹴るように前方に蹴り飛ばした。
茂みの中に――ガサっと消えていった。
「ガリガリにやせ細った姿で人里に下りたら憐れんで助けてくれたかもな? そして栄養を蓄えたあとに人里を襲ったら人間はどんな反応するだろうな? 簡単なことか。殺せと叫ぶだはずだ。本来、人と野生動物の棲息領域は不可侵だったんだ。それに人間とアヤカシもな。結局、どっちの不可侵領域も人間が侵した」
親熊はそれでも子熊を覆うような態勢で息絶えていた。
「子を守るか? 無意味、無意味。人間の赤子だってこの世に生れ落ち文明と接触した瞬間に原罪の債務者となるんだ。不慮なんてのは原罪への罰を執行されたにすぎない。良い人、悪い人、老いも若きもなんの関係もない。業に起因する因果の償還期限に達しただけのこと」
フード付きの黒いローブの者は夜空に星の光とも違う点滅を見ている。
「人工の光が夜を殺してきた。それによってアヤカシの生息地も奪われた。今タームに残った特異点たちは宇宙線さえも通さないあの形而上の領域に干渉するんだったな」
フード付きの黒いローブの者は指先で妖精を呼び寄せて、自分の足元をトントンと指差した。
足を上げて勢いをつけ真上から振り下ろす。
――ぶちっと音がした。
フード付きの黒いローブの者はゆっくりと足をあげた。
「ひとつの種類の滅びと飛散した熊の死骸に妖精の死を添えれば良いアクセントになる。俺だけの無形の記憶を有形の記憶としてくれてやる」
朧月夜の明滅に向かって両手を広げた。
「唐傘お化けと熊と妖精の遺骸。ウスマがいたあの戦場と似てるな。一人殺せば殺人者、百万人殺せば英雄。全部殺せば破壊神という名の創造神。オカルトと神話と歴史と今と世界と宇宙の完全解。破壊と創造は表裏一体」
フード付きの黒いローブの者はだらりと両手をおろした。
「ああ、失敗だ。醜い」
フード付きの黒いローブの者は足で――ズズズと足元の葉や土をかき集めはじめた。
「妖精は竜の瞳じゃなく蛇の足だったようだ」
フード付きの黒いローブの者は潰れた妖精の遺体の上に土の山を作っていく。
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総理大臣官邸内、内閣官房長官室。
各国の主要都市の現地時間を表示した壁のデジタル時計は東京の【21時13分】を差している。
座敷童がしきりにおかっぱ頭の真ん中を撫でていた。
「ん? 頭でも痛いのかい?」
鷹司が心配そうにすると座敷童は首を傾げた。
(座敷童の頭痛。これは魔障専門医の九条に訊けばいいのか?)
第六章 END