第345話 出勤


戸村伊万里は早朝から六角中央警察署の六波羅班の部屋にいた。

 若い女性警察官は恐縮しながら戸村伊万里の前に立ち、小さくお辞儀をしてから両手を差し出した。

 手のなかには小さな長方形の白い紙が握られている。

 「昨日は言いそびれましたが、私、検美石けびいしりょうと申します。階級は巡査です」

 「そうね。たしかに昨日はバタバタしてたから。あらためまして私は戸村伊万里です」

 戸村伊万里は検美石けびいしの名刺を受とり名刺を数秒ながめてから笑顔で返した。

 「検美石けびいしりょうっていうのね?」

 「はい。そうです。よろしくお願いいたします。それで私に訊きたいことというのはなんでしょうか?」

 「ああ、えっと、これ」

 戸村伊万里は持参してきたタブレットを検美石けびいしに見せた。

 「このドキュメンタリーの彼って六角中央警察署ここで署長から表彰されてるわよね?」

 「ええ、ああ、はい、そうです。温故知新の書が壁に飾ってありますので間違いなく六角中央警察署ここの署長室です。彼はコンビニで振り込め詐欺を未然に防いでくれましたからね。私からも感謝です。これって昨日の密着ドキュメンタリーの見逃し配信ですよね? 私、昨日、市街パトロールしてたんですけど、そのあとリアタイで見ちゃいましたよ。結局、昨日も変質者は現れずじまい。でも女の敵は必ず捕まえます」

 「それは私も同意するわ。でも、その変質者ってどんなやつなの?」

 戸村伊万里が画面をタップすると映像の上に白い縦型の長方形が二本並んで、画面の中の世界の動きが止まった。

 「人が多く街に集まる日に出没するんです。例えばワンシーズンのイベントなんか」

 「なるほど人混みにまぎれるわけね? 痴漢の常套手段だわ」

 

 「はい。そしてスマホでスカートの中なんかを盗撮したあと耳元で卑猥な言葉をかけその反応を楽しむそうなんです。被害に遭った多くの女性は恐怖で動けなくなったと証言しています」

 「突然そんな状況になるんだからね」

 「そしてトドメの一言。騒げば撮った画像をネットにバラまくと」

 「脅すことでさらに恐怖で縛るわけね?」

 「はい。ですので、後日勇気を振り絞って警察にきた被害者も氷山の一角だと思います」

 「盗撮された画像を見た被害者はいるの?」

 「いいえ。いまのところその確認はとれていません。じっさいは画像の確認どころじゃないと思います」

 「となると本当にスマホで盗撮してるのかの断定はできないわけね?」

 「いや。盗撮ってるんじゃないですか? なんでそんなこと訊くんですか?」

 「画像がなければ警察が身柄を確保しても冤罪と騒げるでしょ。耳元の卑猥な言葉だって音声データの録音でもなければ立証はできない。女性側の聞き間違いって言いはることもできる」

 「さ、さすが知能犯相手の捜査二課。私とは考えかたが違いすぎです。保存先は脳内メモリーで本当に女性の反応だけを楽しんでる可能性もありますね?」

 「ええ。そう」

 「……逮捕するのもてこずるかもしれないですね?」

 「つぎに現れそうな日の目星はついてるの?」

 「おそらくですけど。警察わたしたちが警戒してるのは株式会社ヨリシロヨリシロの株主総会当日。経済番組なんかの取材クルーもきますから」

 「そっか。市外からも六角市に人が集まってくるわけね?」

 「はい。あとはワンシーズンが献血の啓蒙活動をしていますので駅前の献血センターに本人たちがサプライズ登場すると人が集まります。株式会社ヨリシロヨリシロは芸能事務所とも取引があるようなので」

 「そっか。たしかに献血のCMやってた。そのときは私も警備を兼ねて市街に出るわね?」

 「本当ですか?」

 「ええ。助っ人よ」

 「た、助かります」

 「いいの。いいの。どのみちそのパターンは現行犯で逮捕するのがいちばん早い。ところで、また、さっきの映像に戻るんだけど」

 戸村伊万里はふたたび画面をタップする。

 映像のなかの人物たちは自分たちの時が止られたいたことに気づいてはいない。

 ――だからこそ他人のことを考えられないお客さんは苦手ですね。

 ――具体的になにかあったんですか?

 「ええ、はい」

 「えっと、つぎ。このつぎの証言」

 ――過去に遺書を書くためのノートが欲しいといってきたお客さんがいました。

 「彼がここでいってる遺書を書くためノートって哀藤祈あいとういのるのこと?」

 「私が聴取したわけじゃないですけど。そうです。それがなにか?」

 「いや、こんなところにも人と人との接点があるんだと思って」

 「六角市の人口は約三十万人。なかなかの確率の出会いですけど。まあ六角市の駅前って繁華街ですからそのふたりが店員と客で出会ってもそこまでおかしくないと思いますよ」

 「たしかに奇遇・・で出会っていい範疇」

 「あの~?」

 検美石けびいしが含みを込めて語尾を伸ばす。

 「これも官房機密費の捜査の一環ですか? もしかしてこのドキュメントでいっていたメガバンクの融資課ひっかかっちゃいました?」

 「いいえ。官房機密費そっちはデッドエンド」

 戸村伊万里はあっけらかんと答えた。

 「えっ!? 戸村刑事。行き詰まっちゃったんですか?」

 検美石けびいしはすっとんきょうな声をあげた。

 「ええ。なかなか相手が手ごわくてね」

 「そ、そうですか。まあ、相手が相手ですしね。こういっちゃあれですけど地検特捜部とかに任せたほうがいいんじゃないですか? 権力者であればあるほどやる気になってくれますよ」

 「それもひとつの手かもね」

 (令ちゃんごめんね。官房機密費の流れはすでに判明しちゃったのよ。私が知りたいのは六角市の南側に存在しているもひとつの不可侵領域の正体。そしてそれはアヤカシや能力者に関連すること。だからまず六角駅の下にジオフロンと起因する国交省の近衛と黒杉工業の関係性を知りたいの)

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