第361話 五つめの季節


 「あれ?」

 机に突っ伏していた美亜は顔をあげた。

 

 「ああ、美亜ちゃん起きた?」

 「……校長先生? 私、どうしたんだろ? えっ、ここって私の机、で、す、か?」

 美亜が座っていたのはしばらく触れることのなかった自分の机で、最後に登校したときのままだった。

 放課後の掃除の時間にはちきんと誰かが机を拭いてくれている。

 美亜はそんなことを漠然と感じながら教室の窓からすっかり暗くなった空をながめた。

 「美亜ちゃん今日、校長室にたのは覚えてる?」

 「はい。それは覚えてます。それから、えっと私どうしたんだっけ? 九久津くんがいたような……」

 (九久津くんの記憶はまだ残ってるのね)

 「校長室から帰るとき久しぶりに教室に寄っていきたいっていうからここにきたのよ」

 「そうでしたっけ? 私そんなこといったかな?」

 「うん。いってたわよ。そのあと自分の机に座ってるうちについつい眠っちゃったんじゃやない? アイドルの活動もあるしeラーニングの勉強もあるし。疲れが溜まってたんじゃないかしら?」

 「そんなような気もしないけど……」 

 美亜は両手の手のひらで机を撫でた。

 すこしザラっとした木材の冷たさが手のひらに伝わる。

 「この学校独特の机の硬さ、懐かしいな。校長先生、私の席ってまだ残ってたんですね? 無理いってeラーニングにしてもらってるのに」

 「当たり前よ。美亜ちゃんは今だって六角第一高校うちの大事な生徒なんだから。そこは気にしないでいいのよ。それにいつだって学校に登校ていいんだから」

 「ありがとうございます。なんとなくもう備品室に運ばれてると思ってました」

 美亜は机を両手で抱きかかえるようにして額をつけた。

 「でも、校長先生、この机。この席は今日でおしまいにします」

 「えっ、美亜ちゃんそれってどういういこと?」

 「私、本当は今日、退学届けを持ってきたんです」

 「そ、そうだったの? でも校長室ではなにもいわなかったじゃない?」

 「学校にきてから心が揺らいじゃってて」

 美亜の決意を机が真正面で受け止めた。

 美亜はおもむろに顔を上げる。

 「自分のタイミングで校長先生せんせいにいおうとしたときに、あの金髪の娘と二年の娘がきたから。タイミングを見失ってしまいました」

 「ああ、エネミーちゃんと雛ね」

 「私、あの娘に悪いことしちゃたな」

 「あの娘ってだれ? どういうこと?」

 「二年のきれいな娘。私ね……」

 美亜は一瞬言葉に詰まる。

 ややあって――半年前に私。と再度言葉を切りだした。

 「九久津くんに直接好きな娘誰って訊いたことあるんです」

 「えっ?」

 

 (そ、それはなかなか修羅場な気が……)

 「そしたらあの娘。急に教室から出ていって。ああ、あの娘九久津くんのこと好きなんだなってすぐにわかりました」

 「そ、そう……」

 (わかる人にはすぐにわかっちゃう、わ、よ、ね?)

 「私」

 美亜はまた声をつまらせた。

 「答えがわかってて九久津くんにそう訊いたんです。九久津くんの好きな人って誰?って」

 「ず、ずいぶんストレートに訊くのね?」

 (でも雛が九久津くんを好きでも……九久津くんは……。 ただ美亜ちゃんの質問の意図もなんだかずれてるような)

 「私、あのときからとっくに限界きてて。あの娘が教室から出ていったすぐそのあとに本当の質問をしました――ワンシーズンのメンバーで?って。九久津くんはしばらく私を見たまま――知らない・・・・と答えました」

 「えっと、それって」

 「私、九久津くんがアイドルとかそういうのに興味ないってわかってたんです。七不思議製作委員会の委員長をやってるときから知ってたんですよ。心の奥底になにかを抱えてること。まるでこの世界になんて興味がない。だから」

 (まだバシリスクのことだけを考えてたころ)

 「だったら」

 「九久津くんの――知らない・・・・。私はその言葉が欲しかったんです。私の名前が出ないことよりもあの四季よにんの名前がでないことが嬉しかった。あのときだけはこんな私でもあの四季よにん同等ならべた気がした」

 「……説明も不要な四季の四人のメンバー」

 (人気がすべてのアイドルも大変なのね)

 「はい。街でいつも聞く名前はアイちゃん、マイちゃん、ユウちゃん、ユアちゃん。街のなかで目に映るのもアイちゃん、マイちゃん、ユウちゃん、ユアちゃんの四人。わかちゃうんですよね。もちろんあの四人だって血の滲むような努力をしてきたのは知ってるんですけど。でも彼女たちはもう安全圏にいるって思ちゃうんです。私は六角市うまれたまちにも否定いらないっていわれてる気がしてた。もう、どこにも居場所がないって」

 美亜は饒舌に思いを吐き出した。

 「ずいぶん我慢してたのね? 美亜ちゃん、辛かったわね」

 繰は美亜の頭を抱き寄せ、二回ぽんぽんと叩いた。

 「今日、会ったあの金髪の娘のように 人懐っこくてあんなニコニコした愛嬌があれば誰も近づいてこない私でも人気がでるんじゃないかって嫉妬しました」

 (エネミーちゃんのことか。でも、死者である以上、エネミーちゃんの未来もまた……それは美亜ちゃんが思うよりもずっと苛烈……)

 「あの娘本当にかわいかったな。計算じゃなくクリームを口につけてロールケーキを頬張るなんてできないし。赤ちゃんみたいにかぶりつく感じも。ファンだったら放っておけないもの。私もあんな個性が欲しかったな、なんて。ないものねだりばっかり」

 (これがまたエネミーちゃんの幼い部分は作りものじゃなくて本物なのよね)

 「片手にフォークを持ってるのに私が食べていいよっていうまで手をつけなかったり」

 (エネミーちゃんの家のしつけ他人だれかに食べ物もらうなら一個だけっていって九久津のグミをもらうときも悩んでたみたいだし)

 「お嬢さん。腐ってりゃあいいさ」

 カシャカシャと衣擦れの音がした。

 年季の入った声が黄色い声に割って入る。

 「升教育委員長。それはちょっとあまりになんでも」

 教育委員長である升は教師たちを監督する立場だが、六角市の生徒の一大事ということで社の送迎によって六角第一高校にきていた。

 「いいんじゃよ。それでこそ自然というもの。腐ってけっこう。けっこう」

 「でも」

 「朽ち果てそれを養分に芽が出て花が咲く。それすなわち四季」

 「たしかに。おっしゃるとおりです」

 繰は深くうなずく。

 「お嬢さん。人間には我慢の限界がある。それでいいんじゃよ」

 「私、いつもギリギリでした。今日だって生きていたくない・・・・・・・・って思ってました」

 「希望が空っぽになった状態・・を絶望と呼ぶ。それならまた希望を蓄えればいいんじゃよ。人間、幸せじゃなくても生きてさえいればなんとかなるわい。”井の中の蛙、大海を知らず。されど空の青さを知る”ってね」

 「井の中の蛙につづきがあったんですか?」

 「そうじゃよ。お嬢さんは今日空の青さを知ったということじゃな。さーて、もうこんな時間、じじいは一回寝て起きる時間じゃわい。寄白校長。今しかない瞬間だって過ぎ去れば戻らぬ過去じゃ」

 (なんかいいこといったけど。何時に寝てらっしゃるのかしら?)

 「私、やっぱり高校を退学して、ちゃんと自分のアイドル活動と向き合おうと思います」

 「美亜ちゃん。親御さんは?」

 「それは大丈夫です。両親と話して退学届けを持ってきたんで。私、あらためてちゃんと決心しました。私、白金美亜はワンシーズンのミアになって土用・・をめざします。夢のなかで誰かが背中を押してくれたから……」

 「どよう?」

 「はい。日本にある五つめの季節のことです。でもその話をいつどこできいたのか忘れちゃったんですけど……。だから校長先生、私の退学届けを受理してください。すこし眠って頭も心もすっきりしました。新しくメンバーも増えるしもっと頑張らないと」

 「えっと、わ、わかったわ」

 (美亜ちゃん、さらっと芸能情報いっちゃってない?)

 「お嬢さん。正しい遠回りするといい。今は、大人になってから高校生になる人も多い。お嬢さんの未来への選択肢は多いはずだよ」

 「はい。教育委員長も校長先生もありがとうございます」

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