繰は深々と下げていた頭をあげた。
視線の先で美亜とその母親が今、まさに校舎の廊下の角を曲がるところだった。
繰は封筒を手に美亜たち背を見送り校長室の扉を開く。
「今、美亜ちゃんお母さまと一緒に帰られました」
升とは似ても似つかわしくない繰好みのソファーでお茶をすすっていた。
「そうかい。寄白校長。お茶を飲んで目が覚めてしまったわい」
(えっと、それは良いことなのかしら?)
繰はすこしうろたえながら校長室の扉を閉めて自分の机まで歩く。
引き出しを開け『退学届け』を入れてから丁寧に引き出しを閉めた。
繰が升の対面に腰かけるとオフホワイトのソファーは繰の体をいつものように柔らかく包んだ。
「升教育委員長。今日の美亜ちゃんのことだけじゃなく一昨日の川相憐さんのこともありがとうございました。市役所に掛け合ってもらって助かりました」
「いいんじゃよ。川相のお嬢さんだってかつては学生だったんじゃし。わしはそのころからすでにじじい。これも年の功じゃな」
(升教育委員長っておいくつなのかしら?)
「寄白校長。それにしても人の悩みは尽きないもんじゃな?」
「そうですね」
「川相さん、市のケアマネージャーさんもサポートしてくれるそうですしNPOの『幸せの形』もできることがあれば力になりますとのことでした」
「それはよかった」
「川相さんってむかしはアパレル、じゃなく、えっと、い、衣服販売の仕事をしていたのでスマートフォンを使った簡単な仕事をしながら少しずつ社会復帰をめざすそうです」
「あんな小さな機械をピコピコしながら服を売るとな?」
「えっと、その」
(ジェネレーションギャプが……)
「今はスマホのアプリを使って洋服のコーディネートを考えることもできるんです。店員さんがお客さんに似合う洋服を勧めるのと同じことをスマホでやるんです。動画や画像と文字のやりとりでもそれが可能なんですよ。自分のスキルを売ることができるんです」
「時代は進化したもんじゃな?」
「はい。結局、人って自分の能力ことで生活の糧を得られれば自信を持つことができるんじゃないでしょうか? 自分を肯定できるかどうかは大事ですから」
「寄白校長。そのとおりじゃ!!」
「聞いた話だと川相さんもきちんと働いていたんです、でも、あるとき心がポキっと折れちゃったんです。誰かがもっと早く折れた心を添え木てあげればまた違った未来があったかもしれないんです」
繰は悲壮な顔をしていた。
「家のなかで十三年ですよ? そこでリストカットを繰り返してきた。九久津くんの獏を使っても心の傷はまだまだ深いですね」
「それは辛かったじゃろうな。寄白校長も株主総会が近いが、まあ気負わずにな?」
「はい。あの、そして……本題ですけど」
繰は升の目をじっと見つめた。
なにかの試験の合否を待つように心は漫ろだ。
「美亜ちゃんの命にもかかわることになった忌具については?」
「川相さんというお嬢さんと共通する忌具じゃが美子ちゃんがその件について待ってくれというなら教育委員会も待とうじゃないか」
「恐れ入ります。美子は美子でなにか考えがあるようで」
「いいんじゃよ。美子ちゃんにだってさっきのお嬢さんのように自分の考えがあってのことじゃろう。アヤカシのブラックアウトの生殺与奪の判断を当局に委ねられているんじゃし。それに美子ちゃんのスーサイド絵画が自死へと誘うパターンがひとつしかなからレプリカという見立ては正しいはずじゃ」
「ありがとうございます」
「ところで寄白校長、最近、佐伯校長とあまり連絡がとれないんじゃがなにか知らんかい?」
「えっ? 佐伯校長ですか? い、いえ、なにも。ときどき連絡をいただきますけど?」
(うん。むしろ要所要所で連絡くれてる。あんな感じでも良い人よね)
「そうかい。ならいいんじゃ。そのごバシリスクではないほうの蛇はどうじゃな?」
「えっと、そのはなしですか?」
(升教育委員長のなかにまだその話題があったなんて……)
「ああ」
「それは私たちみんなでオリジナルのアプリを作って情報を共有しています」
繰はスマホのなかにある【Viper Cage ―蛇の檻―】という四つ角が丸い正方形のアイコンをタップした。
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【寄白繰】:
・1、蛇は真野絵音未を唆したかもしれない。
・2、蛇は人体模型をブラックアウトさせたかもしれない。
・3、蛇はバシリスクを操っていたかもしれない。
(バシリスクは不可領域を通ってきた)
・4、蛇は日本の六角市にいるかもしれない。
・5、蛇は金銭目的で暗躍しているかもしれない。
・6、蛇は両腕のない藁人形(忌具)を使って、モナリザをブラックアウトさせたかもしれない。
・7、蛇は二匹(ふたり)いるかもしれない。
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(雛も追加することがなかったって言ってたから蛇についての最新情報は私が書いたのが最後……。あれから誰も更新してない。エネミーちゃんがときどきパフェの話題についてを書き込むことはあるけど雑談だし)
「またそのピコピコかい?」
「はい、すみません。ただこれといった情報はまだありません。あっ、スマホの容量が」
(さすがに”かもしれない”ばっかりの情報を升教育委員長には伝えられないわね)
繰はその場をごまかすようにスマートホンからマイクロSDカードを抜いて別のマイクロSDカードに入れ替えた。
「たしかそのカードにデータが入っとるんじゃったな?」
「はい。動画や写真、音声データ、テキストファイルなんかですね」
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升はひとり夜道を歩く。
(若者がこれ以上苦しむ世界はなんとならんのか)
――のう?
升は夜空の奥の無数の光に問いかけた。
(やはり特異点の能力者たちで……それが最適解ということかのう)
升は手のひらのなかでサイコロでも転がすように小さな髑髏の水晶を転がしたあとに目元に持ってきた。
さらに目の奥へと押し込むようして上瞼と下瞼で挟んだ位置で手を止める。
(十三個の水晶髑髏が導く未来……ほぅ。はじめてこの映像が見れたわい。解除条件はなんじゃろ? 運命とオロチ。なるほど今タームの創世のときに点在していた特異点たちは時間の強制力から解脱するのと引き換えに記憶を失ったということじゃな。ただし特異点の能力者たちの記憶の喪失範囲は個々によって様々。その記憶の手がかりになるのがこの水晶髑髏。いわばこれが、えっとなんじゃったかのぅ。寄白校長がピコピコしてた。そうじゃSDカード。水晶髑髏はあのカードのようにデータを保存しておくもの。オーパーツとは歴史のデータベースといったところじゃな)
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