「愚問だったな。細かなメカニズムはまだはっきりしないが零時のあとにアヤカシが爆発的に増えるグレイグーが発生する。そのため各国はカタストロフィーに備え負力値の常時監視に当たっている。よって終末時計の針を動かす可能性の高い新約死海写本に注意しなければいけない」
「過去からの警告ってやつですね」
「どういうわけか新約死海写本を発見できる人間は限られている」
「誰もが見つけられるわけじゃないということですか?」
「ああ、相性のようなものがあるらしい。新約死海写本が在処にあっても発見できない者もいる。いや、発見できない者がほとんど」
「それって新約死海写本が何かしらの能力者を選んで自分を発見つけさせてるってっことですか?」
「可能性は高いだろうな。新約死海写本を有効活用できる者を選択しているかもしれない。喫緊で注意しなければいけない一枚が【殺戮の魔王。戴冠間近】」
「殺戮の魔王……ですか。抽象的ですけど良い意味ではなさそうですね? 戴冠間近というくらいだから近々その姿を現すという解釈だとは思いますけど。新約死海写本に意志があるのかどうかわからないですけど新約死海写本もカタストロフィーを止めたいのかもしれないですね? そしてそれができそうな者の手に渡るようにしている、とか」
「日本でその任務に当たっているのが外務省の一条だ。あいつは新約死海写本と相性がいいらしい」
「一条さんか。あの人なら適任ですよ。他人を認めてくれる。なんか懐が広いんですよね。あのときだって一条さんに決定権があったわけじゃないのに俺に謝ってくれましたから」
「世界規模の三大災害魔障のひとつ。アンゴルモアが具現化した『ノストラダムスの大預言』か?」
「はい。自分たちもアンゴルモアを分割なんかしないでその場で決着をつけたかったと……」
「国連の方針に飲まれてしまったばっかりに。私からもあためて。すまなかった」
「いいえ。鷹司さんのせいじゃないです。そのあとに俺は救偉人の勲章ももらえましたし」
子子子は勲章の入っているスーツのポケットをぽんぽんと叩いた。
「でも。そのことで出世コースから外れたんだぞ。いいのか?」
「魔獣医の責任者としてアンゴルモアを分割移動なんてさせるべきじゃないと周囲に訴えました。でも覆水盆に返らず。過ぎ去ったことはどうしようもない」
「当時は上司たちとも相当やりあったそうじゃないか?」
「ええ。そのあとの異動はたしかに報復人事だと思いました。それでも国内を転々とするうちに大きな組織じゃできないことをやれるようになりました。学校の怪談に出るようなアヤカシの調査もそのひとつです。災害魔障に指定されるようなアンゴルモアを相手にしてたときには考えられないことでした。それで自分の仕事の幅が広がったと思ってます」
「子子子の知見が広がったのならそれは国益といってもいい」
鷹司は子子子を讃える笑みを見せた。
「あのあとすぐ升さんに――そうやって腐ってりゃあいいって言われましたよ」
「私と升さんは昵懇」
「それも知ってます。最初はイライラしましたよ。バカにされてるようで。でも違ったんです」
「というのは?」
「腐って朽ち果てた養分を元にして次の花が咲くって。今は絶望しててもまた前に進めるって意味だったんですよ。さすがは教育委員長ですよね? 救偉人制度ができて初代の救偉人ですし。そうやって励まされてる学生なんかもいるかもしれません」
「そうか。ちなみに今回の子子子の人事に升さんから口添えされたこともない。私が口を挟んだこともない。Y-LABに引っ張られたのは正真正銘子子子の実力ってことだ」
「ありがたいことです。自分の役目を全うします。それでカタストロフィーを止める一助になれるならなおいい」
「立場は違えどアヤカシに関係する者たちはそれぞれの仕事をすることで結果的にカタストロフィーの芽を摘んでいるということになるな」
「はい、でも社会で発生する負力については政治の力ということになりますから。それらの問題の集合体がこれですか?」
子子子は鷹司の机の上で最近、町のいたるところで見かけるチラシを指さした。
「各国首脳の総意は終末時計が零時なった時点でSDGs0番のカードを切る」
「SDGsの0番? この中には存在してませんよね。0番なんて?」
チラシの中の『SUSTAINABLE DEVELOPMENT GOALS』という文字の下に
暖色と寒色の混ざったカラフルな十七つの項目と『GOALS』の項目がある。
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【1.貧困をなくそう】
【2.飢餓をゼロに】
【3.すべての人に健康と福祉を】
【4.質の高い教育をみんなに】
【5.ジェンダー平等を実現しよう】
【6.安全な水とトイレを世界中に】
【7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに】
【8.働きがいも経済成長も】
【9.産業と技術革新の基盤をつくろう】
【10.人や国の不平等をなきそう】
【11.住み続けられるまちづくりを】
【12.つくる責任つかう責任】
【13.気候変動に具体的な対策を】
【14.海の豊かさを守ろう】
【15.陸の豊かさも守ろう】
【16.平和と公正をすべての人に】
【17.パートナーシップで目標を達成しよう】
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「SDGsの0番とはちょうどこの『GOALS』の場所だが、それはつまり世界目標の失敗を意味する。その」
鷹司の――場合という言葉とドアの外からの秘書官の――官房長官が重さなった。
白熱していた子子子と鷹司の議論に水を差した秘書官に鷹司はトーンを落として――どうしたと返した。
――六角市の保護区域の件。防衛省から解析データが転送されてきました。
言葉のあとにドアがトントンとノックされる。
「わかった。持ってきてくれ」
「はい」
秘書官が慌てながらもゆっくりとドアが開き子子子に一礼してから鷹司のもとへ歩みを早めた。
「失礼します。これです」
「わかった。ごくろう」
「いいえ。情報が更新されしだい随時資料をお持ちいたします」
「ああ、頼んだ」
「はい。では、失礼いたします」
秘書官は再度子子子に一礼して部屋を後にする。
鷹司は無言で目で合図する。
子子子は鷹司の横に回り込んだ。
鷹司は眉ひとつ動かさずに資料の最初のページをめくるとカラーの写真が
あった。
白い枠線に囲まれた中に動物のような肉片が散乱している。
角度を変えて撮られたそんな写真が二列になって八枚並んでいた。
「熊だそうだ。プロから見てどうだ?」
「これ大小の熊ですね。ただ二匹がいたと判別が難しいくらい損傷がありますけど」
「生身の人間が素手でできるか?」
「無理ですね」
子子子が即答するほど明らかな惨状だった。
「そうか」
鷹司は眉ひとつ動かさずに次の資料をめくる。
子子子も黙ってその紙を見つめていた。
数十秒の間があり、それが四回繰り返された。
鷹司が無言のままうなずくと同時に――絶滅か、とつぶやいた。
子子子も無言のまま鷹司の手にある紙の束を掴む。
鷹司は阿吽のように資料から手を放した。
「五体分の唐傘お化けの写真。まるで己の力を誇示するような殺しかた」
子子子が見ているページには骨がひしゃげ皮の破れた唐傘お化けの写真があった。
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【アヤカシ 最新レッドリスト】
・確認済み 残存個体数 唐傘お化け 5体
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「でもどうして。モニタリングしていた負力値の数値が上がらなかったんだ?」
子子子は資料と鷹司の机と交互に目をやった。